Recommended book

  • 『絶対おいしいスパイスレシピ』出版社サイト☆送料無料!
  • 『絶対おいしいスパイスレシピ』Amazon
  • 『山海の宿ごはん』(全編カワムラ取材)2005年あまから手帖ムック
  • 『カレー全書』(柴田書店)*送料無料!

カテゴリー

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

« 2009年4月3日 | トップページ | 2009年4月13日 »

2009年4月9日の1件の記事

2009.04.09

魚河岸鰻遊(かなり長編!)

かつて、その彼が大阪に在住していた時代、20歳代の若手スタッフたちはからは「○○のアニキ」とか「おにいちゃん」などと呼ばれていました。クラブから程近いところにアニキのアパートはあり、そこに毎晩のように押しかけてはタコヤキパーティを開いたり、またよもやま話を肴に酒を飲んだり。

時にアニキが遅番の日なんかはみんなで勝手に掃除をしたり飯を作ったり。給料日のあとは車に乗って北摂は箕面に林立していたおしゃれなカフェやレストランのハシゴなんかもしたり。

当時の彼は25~6歳。3歳年下の僕は3階のティーラウンジを任されている立場で、正確には社員ではなかったけれど、みんなとは垣根のない付き合いをしていました。その仲間たちは総勢7~8名だったでしょうか。

ある日のこと、アニキは色々と事情があって実家のある東京へ帰らなければならなくなります。家業をつぐためです。築地にある中堅食品商社で、貿易や商社間等の取引はもとより、地元超密着型の不動産屋、魚河岸に一般鮮魚仲卸などと幅広く営んでおりました。

アニキが帰京する1ヵ月ほど前のこと。「ケンちゃん、俺と一緒に東京へ帰ってくんないか。築地は今のままじゃダメな気がすんだよ。これからはもっと消費者に近い商売しなきゃなんねー。前々からケンちゃんが言ってたあの夢のレストラン企画、いまこそ実現のときじゃねーかってね。どうよ。あんたアンチ東京じゃないようだし~」

僕はなんの迷いもなく二つ返事。とっとと数十ページに及ぶ企画書を書き上げアニキに渡し、なんの滞りもなく足立区のアパートを借りていただき、たったかたーと上京していたのです。しかし、これが・・・・。ま、説明は面倒なのでしませんが、色々あって実態はレストラン開業なんて夢のまた夢だったのです。

僕とアニキの関係は大変気まずいものになりましたが、とにかく僕は魚河岸の仲卸で働くことに。が、そんな僕に同情してか、河岸の先輩たちがなんともいえないほどいい人ばかりで実に居心地がよかった。そんな中で僕にはある特定の仕事が与えられていました。

それは鰻です。これはもちろん川魚であるからして、光物や青物が主役の海魚からすれば脇役中の脇役。しかしかねがねアニキはこの鰻に強い情熱をもっておりまして、商社部門では鰻のブランドもあったくらいです。客は東京から東~北に限っておりましたが、それはそれで十分においしい蒲焼の真空パックでした。

気まずいなりにもアニキは僕に活鰻を任せてくれていたわけです。毎朝セリ落とした鮮魚を店まで運んだり、発注分の捌きをしたり、オーダー分を茶屋までターレーで運んだり。その隙間に行うんです。活鰻の入った袋に酸素をプッシュ~といれてぶっといゴムでパチンととめる。一つの袋が10kgで1ケースに二つ入る。これが忙しい日なら40個も50個も注文が来るわけです。ぜ~んぶ活きた鰻。で、お得意さんや近くの老舗百貨店の厨房まで送り届けるのです。

厨房ではすでに白衣姿の職人さんがずらりと待ち構えておりまして、僕が納入すると同時に箱を開けて袋をすぐさま作業台にのせて中をジロッ~と睨みます。でもってちょいと鰻の首が下がっていたりすると(元気な鰻は上を向く)「おいっ、これちぃっと元気ないんじゃねーの!?」と僕も睨まれます。

Roji

今ほどではありませんが今から20年ほど前も築地魚河岸はマスコミの格好の舞台でした。もちろん主役はマグロでして、一般鮮魚はたまに取り上げられる程度。が、僕の場合はそのどちらでもない鰻といういわば二軍でして、いつも孤立した感じでした。

考えてみれば僕は静岡血統だし、子供の頃から至上の贅沢品はこの鰻。盆正の帰省時はまず鰻パイに溺れる。そんななにかと縁を感じるこの鰻がだんだん自分自身に思えてきたわけです。

レストランの計画で上京したのに、何で僕はいまこうして鰻野郎なのかとアニキに食いかかると彼はこういうのでした。

「ばっかやろー!本当の江戸前ってのはこの鰻のことなんだっつーの。かつては屋台なんかで食べられてたって話。白焼きと蒲焼を食べ分けることが出来て初めて江戸前がわかるってものよ」。なんだかちょいとピントがずれているのがアニキの得意技であります。そう、ようするに絶好調にガテン系なのであります。

しかし、大阪者が上京するだけでも珍しい時代。もちろん魚河岸に大阪弁を話す者などは皆無の時代。東京に対する憧れなんてまったくなかった僕は、江戸前も江戸っ子もどうでもよくて、興味があるのはコロン臭満開の六本木のおねーちゃんくらいでした。よって鰻気分が深まるほど本当にコロン臭満開ねーちゃんと付き合うようになり、僕は河岸の先輩たちに一杯愛されていたにもかかわらず、どんどん気持ちは遠のいてしまい、あるときついに仕事を辞めて大阪へ帰ってしまうのでした。

それから長い長い年月が経ちライターとなった僕に因果な出来事が起こります。それは魚河岸の連載を書くことになったということ。僕は思わず御題を「魚河岸鰻遊」としました。

アニキとはあれ以来会ってもいないし言葉も交わしていません。とてもとても複雑な心境でしたがこの避けようのない縁に僕は覚悟を決めて、まずは氏神様に二礼二拍一礼してからアニキに連絡を取りました。お互い色んな噂だけは耳にしていたせいか、ちょっと気まずい感じはありつつも長年の距離はまったく感じられませんでした。Kaikoh

かつての行きつけだった一軒の中華屋へ行き、昔と代わらぬ脂っこい餃子を食べながら、どんどんアニキの毒舌は調子を上げていきます。「漢字もかけないくせによくもライターなんてやってるね。どうりで世の中がおかしいわけだ」なんて。

以来、魚河岸鰻遊は1年間みっちりと続きます。4年に一度の氏神様の神輿を担ぐ縁にも恵まれました。十数年ぶりに着た半纏と白股引はアニキからのプレゼント。魚河岸とは本当に強い縁を感じます。色んな思いがありましたが、セイヤーの掛け声で一瞬にして吹き飛んでいきました。

さらに因果なものでこの年アニキも念願だった消費者に近い店を場外市場内に実現します。なんと鰻の白焼き・蒲焼屋です。しかも、その備長炭の前には、かつて僕も納入に訪れていた東京が誇る某老舗百貨店の職人Oさんがいました。「こりゃ東京じゅうが喜ぶぞ!」。そういって特上の蒲焼をつつきながら盃を交わしました。

言葉ではとても言い表せない20年分の喜びに浸る1年でした。

あれから2年が経った今年の3月中旬。アニキが僕にこういいました。「おぅケンちゃん。こんなこたいいたかないけど、もううちも限界が近いかも。今のお客さんは本当とことん安物しか買わなくなっちゃった。どうだい、最後にケンちゃんのカレーでもやらないか?」

ここ数ヶ月の世界的な大不況の波を感じつつも、僕は静かな感動を覚えていました。何か築地に、そしてアニキに恩返しがしたい、と。それから毎日毎日必死こいてアイデアをしぼってみました。築地カレーバーガー、スパイシーフィッシュ&チップス、鰻のカレー焼きなど。そしてレシピも大雑把にまとめつついざ現場へ上陸かと思ったそのとき、衝撃的な結末を迎えることになります。

なんと店が3月末日で閉店したというのです。アニキはかすれた声で僕にこういいました。

「おぅケンちゃん・・・・。あんたもデパートの催事で忙しそうだったからさ、話をすることができなかったんだよ。実はさ・・・・もう終わりにしたんだ。これ以上は無理だった。ごめん・・・。そうか。色々本当に考えてくれたんだな。でも、もう限界だ・・・・・」

泣けました。他にもいろいろな理由があったようです。でも時代といえばそこまでです。「安物しか売れなくなった・・・・・」。安いって何でしょうか。一方では偽装問題などで質が問われる時に、1円でも安ければ売れるってどういうことなのでしょうか。

そもそも安さの基準はなんなのか!?額面?それとも印象?一般消費者にそれらを見極めることは難しいと思います。だから今ならテレビや雑誌よりもネットやブログで見つけたものが売れてしまう。なんだかそれがより本物でよりお得に思えてしまう。またそれに目をつけて主張と演出ばかりに専念する供給者も急増の様子。気がつけば農家なら畑を離れ、料理人なら厨房に殆どいないなんてことになっている。

昔も今もそうなんだと思います。実直な職人ほど、喋りが下手で、その分頑固で、人当たりも悪けりゃ自分から乗っかることもできない。とにかく寡黙だし、暇がないし、不器用です。正直な人ほど今の時代に合わなくなってる。

現にアニキのところの鰻は、同クラスの仕事とネタが都内の料理屋では倍近くの値段で売られています。それほども安いのにたくさんは売れなかった。今なおテレビなどで主役になることはないので消費者はそこまで判断することができない。築地はマグロの専門市場じゃないのに。単なる魚市場と青果市場でその取引額がかなり多いというだけなのに。

ライターである僕は思います。「言葉は実態の3%程度。他の97%は行動の中に住む」と。築地には語ることのできない眼には見えない人々の伝統と情念が山積みとなっています。それはとてもシンプルだけど複雑で抽象的だと思います。だからこそそこで活きる者にしかわからない。絶対ににわかのテレビや雑誌なんかじゃ伝わらないし、そもそも取材しているだけでは見えるはずもない。僕が言うのも変だけど。

アニキにお疲れ様とは言いたくない。元気な鰻は首を上にしてにょろにょろと出口を探しますよね!?さて、もう一度この山を登りましょうか!もう一度!

Chaya

« 2009年4月3日 | トップページ | 2009年4月13日 »

club THALI Twitter

  • club THALI Twitter

club THALI

フォト

カワムラケンジのプロフィール

Spice Journal(カワムラケンジ) Facebook