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2016年1月29日の1件の記事

2016.01.29

『スパイスジャーナル誕生秘話 ③“スパイス”がテーマの媒体を考え付いた背景』

 本の名を『スパイスジャーナル』に決めたたのは2009年から年が変わる頃でした。でも、何人かの支持者というか応援してくれている人たちからは思いっきり反対されました。

「スパイスなんて言葉はマイナーすぎる。いくらカワムラがそういう思いをメッセージしたとしてもそれは世間一般では浸透していないし、たぶん今後も広がらない」

「スパイスもインド料理も、そんなに人は特別な思いはないよ。カレーマニアのための本だ」

「ジャーナルというのは報道のニュアンス。季刊誌では記録の感じになってしまう。もっと本の名を熟考すべき」という意見もありました。

 おまけに本のサイズも反対だと。当初の僕の計画ではタブロイド版またはA2二つ折りを考えていました。イメージはアメリカやヨーロッパの売店にあるようなゴシップな感覚だけど、その実は専門紙というもの。

 これについては女性たちの意見に従いました。A5サイズに。今ではすっかり当たり前のように見るサイズですが、実は当初これもけっこう斬新だったのではないかと思います。

 それまでも同サイズの媒体はいくつかありましたが、それらは小冊子(フリーや同人誌の感覚)の域でした。定期刊行する商業媒体としては決して多くはなかったのです。これについては後になってみて、確かに良い点も多かったように思っています。

 でも『スパイスジャーナル』という名前については何の迷いもありませんでした。中身も文字通り一貫として「スパイス」をテーマにしています。

 ただ、これは決してマニア向けではないと思っていました。一見マニア志向に見えてもその実は逆で、あくまで普通の生活を送る一般層に向けたもの、と。

 おおげさかもしれませんが、強い使命感のようなものもあったのです。長いあいだ数々の飲食に関する現場で生きてきましたが、その中のひとつで、このブログにもしばしば登場する三重県松阪市の『THALI』(1998~2001年)は象徴的といえます。

 毎日のように同じような質問が飛んでくるんです。

「日本のカレーって西洋から伝わったんでしょ?」「本場のカレーって辛いよね?」などから始まり「インド人はカレーを手で食べてる?」「インド料理はスパイスだけで作られる?」などと文化や料理法へ。

 もちろん肯定的な好奇心や疑問ばかりではありません。

「もっととろみがないとおいしくない」「カレーは焦げ茶色じゃないと。黒いカレーだってあるくらい。もっと勉強したほうがいい!」「カレーはコクマロが命。これじゃ物足りない」「ここは日本なんだから日本カレーを作れ!」などなど。

 で、時間と共に興味を持つお客さんも出てきます。「スパイスってなに?野菜?植物?」、「どの国に一番多い?種類は?定義は?」、「薬?薬効はどんな?専門家はいる?」などと入り込んだ質問も。

 当時から熱烈なインドファンのお客さんもいました。SNSやネットで誰もが情報を得られる現代ほど多数ではないですが、でもその分、強度というか深度というか薀蓄がそりゃもう強烈でした。中でも関東エリアで本場的なインド料理やネパール料理を食べ歩き続けている数名の組織?チーム?は凄かった。新幹線に乗って三重県までやってくるのです。

 今ではそれこそ国内のみならず海外へも気軽に行き来できる時代になりましたが、当時は三重県でもなかなかの彼方。名古屋で近鉄か在来線に乗り換え、駅から一応5分と不動産屋は言うけど、土地勘のない人はまず迷うような場所。

 でも、わざわざ足を運んでくださったのです。その後はスパイスキットやオリジナルのカレー粉、ガラムマサラ、料理の冷凍品など定期的にご発注くださり、ご自分たちの知識も惜しみなく伝達してくださいました。中には半分インド人みたいになってしまったような方も。インド好きなどという次元ではなく、住み着いた経験がある男性とか、ご主人がインド人で向うに10年ほど住んでいた女性とか、20年におよび年に3~4回通い続けている雑貨商の方とか。ほか石屋?の方で、年のうち3ヵ月はインドにいるという紳士も。よく考えてみれば、僕のかつてのバー時代のスタッフの1人もインドに住んだ経験者です。確か1年近く住んでいたような。このように「インド」と「スパイス」はずっと僕の傍に巻きついている状況でした。


 そんな日々を送るうちにやがて、他店や主婦たちから料理教室の依頼などがくるようになりました。が、この類のことだけには腰が引けました。

 理由は、ただただ忙しかったから。朝は仕込に追われ、あっという間にお客さんが来店。お待ちいただいているのに品切れになってゴメンナサイ!シンクに埋もれた皿をそのままにして仕入れに走り、戻ってきて夜の仕込前半戦。

 途中でご飯を食べてチャイが残っていればそれを飲み、すぐさま仕込み後半戦。夜は濃度の濃いお客さんが多く、アドリブも含めて10品ほど平らげるような方も。狭い店なので殆どのお客さんはフレンドリーに接してこられる。

 こちらもせっかくだと思い一生懸命にコミュニケーションをとるのですが、気がつけば夜の10時や11時で明日の支度は何もできてないし再びシンクから皿が溢れている状態。店の仕事はこれだけではありません。支払い振込みや(当時は窓口に並んでのアナログ作業!)、食品以外の細かい買い物もある。町とのいろんな付き合いも。

 もう語りだすと終わりません。本当に有り難いことなのですが、本当に暇がない。本職を全うすることにもう限界ギリギリというか、少しでも気を緩めるとアウトなんですね。これはおそらく、小さな店のオーナー料理人ならどこも同じかとは思うのですが。なので、料理教室はちょっと。

 さて、余談が過ぎました。本題に戻して、スパイスという1テーマの媒体を創り出した最大の理由は、以上のことからたくさんの方々がインド料理やスパイスに興味を持っていることを肌で感じ取っていたからです。

 でも、社会はそういう感じではない。というかかけ離れている。少なくとも自分が関係していた雑誌の編集部などでは、「インド料理」と「カレー」という言葉は最も人気のない言葉として信じられており、特集はおろか、小さな記事さえも書かせてもらえない状況でした。

 著名な料理研究家でさえも「インド料理」とか「カレー」という言葉を用いるのが主流だったように思います。だから、ならば自分で創ってしまおう!ってことで。決して物を売りたいがための宣伝とか、自分の権力や地位を保持固守するがための政治活動が目的ではありません。

 この本のコンテンツはみんなお客さんが投げてきた球から生れたものです。本当に、それくらい多くの人が「インド料理」と「スパイス」に強い興味を示していたわけです。今では、カレーだけがインド料理じゃないことや、辛いばかりではないこと、インド料理の多様さ、いろんな国にスパイスを使った料理があること、体調とスパイスの関係性、などなどかなり広くに知れ渡っているように感じます。

 もちろん、自分の功績だなんて思っていません。ずっと昔から、このようなことを人に言い伝えてきた人は数限り無くおられますし、その深さをリアルに伝えてきた偉大な店も数多く存在しました。きっと本もあったはず。ただ、現代のSNSやネットパワーは当時の浸透力とは比較にならない異次元の力を持っていることは確かだと思います。

 『スパイスジャーナル』は紙という旧式媒体ですが、僕の周りのインド人たちはみんな「カワムラはインドによく貢献した」と言ってくれます。嘘でもちょっと嬉しいです。

 実際に創刊すると、本作りの苦しみは一部であって、それ以外にやらなきゃいけないことが山のようにあることに少しずつ気付いていきました。その複雑さや忙しさは言葉にはできません。

 結局、貧乏なクセにわずかしかなかった貯金をすべて叩き、他の仕事をすべて捨てて、働くことがあるとすれば本の資金集めのために働いて、休日なんて年に数回あるかないかの状態になってしまいました。何度こんなことやらなきゃよかったと思ったことかわからない。でも、やっぱりやってよかったと思うんですよね、これが。

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