Recommended book

  • 『絶対おいしいスパイスレシピ』出版社サイト☆送料無料!
  • 『絶対おいしいスパイスレシピ』Amazon
  • 『山海の宿ごはん』(全編カワムラ取材)2005年あまから手帖ムック
  • 『カレー全書』(柴田書店)*送料無料!

カテゴリー

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« ばんばんさんの番組にゲストでおじゃま~ | トップページ | 『スパイスジャーナル誕生秘話 ②なぜバイリンガルにしたのか』 »

2016.01.19

『スパイスジャーナル誕生秘話 ①創刊への道のり』

 スパイスジャーナルというミニマガジンを5年にわたり定期的に刊行してきましたが昨年の1月に休刊宣言をしたことをご存知のブログ読者様も多いかと思います。そして早くも年が明けて2016年。少しは大きく息をついて振り返ることもできるようになりましたので、このあたりでスパイスジャーナルを刊行した本当の理由について何度かに別けてお話していこと思います。

 今回はその第一話。まず、創刊の原点をお話させていただきます。

 時は遡って1999年頃。僕は縁あって三重県松阪市で小さな日替りインド定食屋『THALI』という店を営んでおりました。公私共にお世話になり信頼を寄せていた師、柏木氏にこんなアドバイスを頂いたのです。

「そろそろ自分で媒体を作ってごらんなさい。カワムラは時代に無関係な男だから、いつかきっと本になるなど、とにかく個性が売りになるときがくるよ。商業の世界はもう十分やり遂げてるし、今はようやくマイペースになったんだから、そろそろだよ。勉強になるしね」

 無駄口を一切言わず、嘘が大嫌いな人でした。代々の江戸っ子で、元は大手出版社勤めだったけど、晩年は大阪で小さな蕎麦屋を営んでいました。客より先に酒を飲んでしまうし、蕎麦を湯がく釜は毎回吹きこぼす。でも、誰よりも信頼のできる、とても格好いい人でした。

 そんな言葉の少ない師の言葉はとても重たくて熱い。

 以来、僕は教えられたとおりに準備を進めます。そのときに創り上げたのが、仮称「ウエストミーティング」という冊子で、すべてスパイスをキーワードにしつつもジャンルを超越したたコンテンツ。右側から日本語、左側から英語というバイリンガルの形。

 普通スパイスというとインドやネパールのイメージになりがちですが、ここでは様々な国の音楽、音楽家の感性、グラフィックデザイン、家具、食器、旅、日本などと、テーマは多岐に渡っているのが特長です。

 手造りの見本誌も出来上がり、柏木さんからOKももらいました。でも、それまでライターとして長い間活動して来た僕ですが、本を作ることはできても、配布方法がわからない。広告を募ってフリーペーパーにするのか、それとも価格設定して販売するのか。それならばどこでどうやって売るのか。どう運ぶのか。印刷はどこでどのレベルで。保管場所は。在庫管理は。その他たくさんの未知なる壁が立ちはだかったのです。

 柏木さんはこういいました。

「そうだなぁ、とりあえず印刷屋に見積もりしてもらって1人1万円ずつ募ってなんとかトントンにしちゃえばいいよ。ひとまずはフリーで全国の書店に配る。300店舗くらいなら俺が紹介してあげるから、50部か100部ずつとして15000か30000部で費用を計算してごらん」

 300店舗なんて数字が、なんの抵抗もなくすらすらと出てくるところがイナセな。でも基本軽く酔っているわけですけど。

 僕は忙しい合間を縫って印刷屋を探し回ります。当時は今のようにググる携帯もなければ、個人がパソコンをもつことはまだ少なかった時代。出版社のホームページさえも殆どなかったようなレベルです。とにかく自分の足と嗅覚と人の縁がすべてだった。

当時は本を作れるような印刷屋さんも数少なく、あったとしても一見さんはお断りか、そうでなくとも見積もりの依頼はうけてくれない。つまり殆ど相手にされない。

 で、ようやく見積もりをしてくれる業者がいたのはいいが、見ると30000部で150万円くらい! A4カラー16~24ページでです。

これではとてもやれないと思い、その後も暇を見つけては色んな方法で印刷業者を探すわけですが、いくつかが見積もりをだしてくれて、最も安価なところでも80万円くらいはしていました。今ならネットでちゃちゃっと入力して送信して、20万円もかからない。

 柏木さんに伝えると、ぼーっとした目でこちらを見て頬を赤らめながらにんまりと笑うだけ。恐れ多くて、どうしらいいでしょう!?なんて安っぽい質問ができる余地はない。こういうときは自分で考え苦しみやりぬくしかない、ということで。

 僕は思いつく場所や頭に浮かぶ人たちのところへお願いに周ります。こういう企画を考えていてどうか協賛していただけませんか、と。僕もそうだけど、みなさんもお忙しいですからなかなか話を聞いてもらうのも難しいわけで。結局集まったお金は30,000円でした。

 時はすでに2001年となっていて、いろいろあって松阪の店をしまい、大阪に戻ってきていた僕は、これまた色々縁あってライター業を再開しており、毎週東京と大阪を行き来しなければならない状況でした。

 100数十万円の募金を募ることと、編集作業をすること、印刷や倉庫の件、また配布営業に周ること・・・考えただけでも目眩がしてくる。こんなのできっこない。また、目の前の仕事が忙しすぎたことも断念した理由のひとつでした。

 それでも柏木さんは何も言わないんです。一言伝えると、また頬を赤らめにんまりとするだけ。で、ゆっくりと背中を向けたかと思うとビールの栓を抜いて、またゆっくりとこちらに振り向き僕にコップを手渡す。

 ゆっくりと注いだかと思うと「ほら、乾杯だよ」とぽつりと言って自分の飲みさしのコップを軽く当てるんです。たったこれだけの言葉でめちゃめちゃ心が震えたものです。媒体創出計画は、こうしてお蔵入りになったのでした。

 そして2004年に誰も想像だにできない悲劇が起こります。柏木さんが急逝するのです。なんとも不思議な話ですが、誰も理由がわからない。わかっていることは、死ぬ直前に、東京のご子息(次男さん)がようやく結婚するという報告を聞き、至福の酒を飲み、その帰り道で転んでしまった、ということだけ。おそらく頭を強くぶつけてしまったのだろう、となるわけだが、詳しいことは誰にもわからない。

 多くのファンが行きつけの店を失い、僕のように心の支えが消えてしまった人も多くいたと思われます。

 こうして、人生は容赦なく進んでいくのですが、本当に自分がやるべきことというものは、長い年月を周りまわってでも、再び自分の目の前にやってくるものなんですね。

 2009年の暮れ、世話になっていたウェブ関係の会社経営者の方からなんかの話の流れで、カワムラが本当にやりたいことって何?となって、ふと柏木さんと立ち上げようとした「ウェストミーティング」のことを思い出したのです。すると、その社長さんは「それですよ!それ!僕も協力するよ!」といって背中をおしてくれたのでした。

 柏木さんへの思いもあり、僕は迷わず前を向きました。

 時代は急ぎ足で変貌を遂げており、このとき、オフセット印刷で色校正までを経ても(一応ちゃんとした印刷といえばいいのか)以前とは比べ物にならないほど価格破壊していたのです。

 よし、今こそ!という意気込みでその年末から全力で準備を始め、ついに翌年2010年3月に創刊できたのです。当初思い描いていた形とは少しばかり違いましたが、根幹は揺るがず。

『スパイスジャーナル』はこうやって誕生しました。

« ばんばんさんの番組にゲストでおじゃま~ | トップページ | 『スパイスジャーナル誕生秘話 ②なぜバイリンガルにしたのか』 »

スパイスジャーナルについて」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« ばんばんさんの番組にゲストでおじゃま~ | トップページ | 『スパイスジャーナル誕生秘話 ②なぜバイリンガルにしたのか』 »

club THALI Twitter

  • club THALI Twitter

club THALI

フォト

カワムラケンジのプロフィール

Spice Journal(カワムラケンジ) Facebook