親はどこまで行っても親だった
以前に少し語った親のサポートの話。
その後は色々家庭の事情がいい方向に整いつつあって、以前ほど拘束されることはなくなった。
現在は片道1時間を週に1〜2回ほどのペースだ。
不思議なことに、そうなってくると仕事が多忙になって、家のことでいっぱいいっぱいになると同時に自分個人の生活についてももうあかん!ってところで救われた感じ。
日本の介護システムの一長一短が垣間見れてとても勉強にもなった。
本当杓子定規じゃないことを痛感するばかりである。特に要介護や要保護などの認定の部分については不可解なことだらけだ。
ピンピンしてるのに厚遇な要介護や要保護の資格を持つ者がこの世にあふれているのはなぜか?とか。
昔住んでいた団地に、普段は車椅子に乗って駅前や病院をうろついているのに、団地敷地内に入るやいなや車椅子を降りのびのびと上を向いて歩き自分で先まで乗っていた車椅子を押して部屋に入っていく兄ちゃんがいたが、まぁそう言うことである。
ネガティブな話は以上にして、とにかく最近のおふくろはますますヨシモトなんて目じゃないくらいボケが冴え渡っている。
そんなある日カミさんがポツリ。
「そろそろあんたは距離を置いたほうがいいよ」だって。
なんじゃそりゃ?
「どこまで行ってもおかあさんは母だから尊重してあげて」
最初はちんぷんかんぷんであったが徐々にわかってきた。
色々あるが、早い話がシモのことである。大人のオムツなるものがあるのだが、そっちの方の話。
娘の場合は色々な関係性があるそうだが、息子と母親の関係における限界点はだいたいそこなのだとカミさんは言う。
その先は実は他人がよろしいことは医療業界でも常識的なのだとか。
「あんたがやってきたことは片鱗でしかないから。本当の介護はこの先」と言われて、ちょっと愕然となった。
そうか、僕が今までやってきたことは本物の介護の準備程度のことだったのかと。
だんだん介護師や看護師のすごさがわかって来たぞ。
他人だからこそ成し得ること、介護を受ける側にとっても楽になることは多々あると言う。
僕ができることは自分の想像してることよりはるかに少ないようだ。
自分ができること、今やっていることを大事にしていこうって改めてそう思う今日この頃。