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2020.04.29

1993年、僕の店は燃えました。

 新型コロナ感染症による緊急事態宣言により、テイクアウトで応戦されている店、休業を余儀なくされている店の方々に読んでいただければ幸いです。

 みなさま、お疲れ様です。僕は16歳から29歳まで飲食の現場一筋で生きてまいりました。好き嫌いとかではなく、家庭の事情もあって高校を卒業するので精一杯の環境で育ちまして、飲食業以外の選択肢はなかった、というのが正しい理由です。

 ついては、ちっぽけな男ですが、それ相応に命がけでやってまいりました。そのうちのひとつのエピソードをここに書き記したいと思います。今となっては自分でも笑える話ばかり。ぜひB級ドラマを観る感覚でご覧いただければと思います。

 予期せぬことで生まれて初めて自分の店を開業したのが1991年10月10日のことでした。26歳の時です。場所は大阪北部郊外の箕面。外側は全面トタン張り、15坪ほど、創作料理と音楽も楽しめるやんちゃなキャッシュオンバー『P AGE BAR』と言います。最初はまったく客が来なかったんですが、開業して1年半がたった頃には、店は浮き沈みしながらもなんとか客数は増えていきました。立地は最悪と言われていましたが、それでも近くには女子大、スッチーやナースの独身寮なんかもあったようです。さらに、当時の箕面には、500円均一、かつ、アホな感じの飲み屋も皆無でした。店内の壁は赤や青のペンキで意味不明の柄を毎月塗り替え、カウンターの上はブラックライト、他は調光可能のスポットライト。僕はいつも黒ジャケ姿で、イベントのある日は、なぜだかノーパンで興奮気味でした。週末はDJのパーティ。店はおんぼろなので、音は2車線の道を隔てた向かいのマンションまで反響しまくり。

 ナンパ目的の変な客も増えていきます。筋肉自慢の土建屋の兄ちゃん、注射器を見せびらかすアル中の内科医など。女性も負けてません。パンツ丸見えの極ミニ自慢の女狩人、深夜に店先で待ち伏せする人妻など。今考えると漫画みたいなキャラばかりです。

 時に手に負えない事件も起こります。酒の飲み過ぎで血を吐いて痙攣する若い女とか、因縁のグループがぶつかって20人くらいの大乱闘になるとか、トイレで不明の注射針を発見したり、男に妊娠させられたと騒ぎだす女とか、もうメチャメチャです。そんなだから、ある時から警察が近所で張り込むことも多々ありました。

 当然、普通の客は足が遠のきます。でもいい筋のお客さんはごくわずか。それだけでは到底やっていけません。そんなわけで何かに憑かれたかのように、ひたすらアホなイベントをやり続けていたわけです。

 こんな毎日を送っているうちに僕は痩せていき、気がつけば酒に酔わない身体になっていました。気分が高揚しないため、客を楽しませることができない。そんな焦りが膨らむほど、様々な方法で手を尽くします。

 が、無理して高揚させた分、バランスを崩して今度は不眠性になってしまいました。間違いなく自律神経の失調です。共感してくださる水業界者の方も多いことでしょう。

 当時の僕は自分の癒し方を知りません。いくら女の人たちと関係を持っても、常に何かが満たされない。この屈折した状態はやがて自滅を迎えました。一人でいるときは、ただただ寝むたいか、しょんぼりと鬱になってしまうんです。

 そのうち、店に立っても体調も気分も乗らず、身体はなぜか冷え、時に震えが襲います。こうして何もかもが嫌になってネガティブの極致に陥っていくのです。度数のきついバーボンとビール、そして精神安定剤を一気飲みしても言うことのきかない身体になっていました。

 そんなある日、店が燃えてしまったのです。原因はタバコの失火でした。本当なら失火罪のはずですが、僕の酷い落ち込み様とそのいたしかたない状況から、関係者が寛大に処理してくれたのだと思っています。

 その日、僕は朝まで客と馬鹿騒ぎを繰り返し、いつものように記憶を消失。早朝の6時頃、布団で意識朦朧としていたところに一本の電話が鳴りました。
「もしもし、カワムラはん?落ち着いて聞いてよ、わし、箕面消防署のもんですけど、君の店が燃えたんよ。今すぐでてこれるかな?」
 僕はいたずら電話と思い「われ、しばくど。アホ、ボケ!」と言いたい放題。しかし、それは本物の消防士からの電話だったのです。

 フラフラのまま慌てて車で店に向かうと、そのマンション一帯は赤いサイレンが入り乱れ、アメリカ映画で見るような黄色くて太いテープがぐるりと張られていました。消防車は5,6台、いや7,8台は来ていたでしょうか。前の道路は前後100mほどを封鎖。パジャマにサンダル姿の人々が表から店を見上げています。焦げた匂いのする蒸気が店から溢れ、警察や消防士が右往左往していました。

 僕は車を歩道に置き、人ごみを掻き分けテープを破るようにしてマンションの二階へ上っていきました。そこに電話をかけてきた消防士が待っていて、いきなり僕の前に立ちはだかり、隣に回り込んで肩を抱きこみました。

「お、ようきてくれたな。いいか、中を見る前によく聞いてくれるか。わしらは火消しのプロやさかい、最も災難にならん方法で解決したからな。ドアだけは潰させてもらったけど安心し。大惨事にはならんかった、大丈夫やから。兄ちゃんは幸せもんやぞ」と力説するその笑顔が逆に恐怖を増長させました。きっとこれは、災難だったに違いない。

 で、その予感は当たっていました。恐る恐る店の中に足を踏み入れてみると、そこはまさに地獄の暗黒。天井からボタボタと滴り落ちる水の音が今でも記憶に残っています。そして、床上50センチくらいのところまでガムを引っ張ったように垂れ下がる数々のスポットライト。壁に貼っていた自慢のレッドツェッペリンのレコードはシャンプーハットの様に波打っています。ボトルはネジ型にくねり、床は食器などの残骸で歩くとグシャグシャと鈍い音。

 僕は唖然として、瓦礫の上でしゃがみこんでしまいました。すぐさま共にしゃがんでくれた消防士のおっちゃんが、肩を抱きながらこう言います。

「ええか?何度も言うで、君はかなりラッキーや。階下のカラオケ屋には漏れないように水をかけたつもりや。普通はそんなもんに遠慮はせーへんで。わしらでほんまよかったな。もし漏れていてもそんな大したことはないはず。どっさりと漏れたら大変な損害賠償になるからな」

 そういって、火元と思われる場所へ僕を連れていく。
「ほんまはもうちょいで大惨事やったんやぞ。ここ、火元を見てみ。ガス管の50センチ手前や。おそらくここにあったゴミ箱か何かから火が出て、すぐその上のバックカウンターにあったテレビに引火。それが落ちてどかーんとなったと思われるねんけど、なぜかガス管には影響がなかった。万が一、このガス管に飛び火したらマンション丸ごとイってしもてた。紙一重で君の人生は助かったんやで」

 大惨事を免れることができたのは、この日の早朝に突然季節外れの大きな落雷があって、それで目をさましたマンションの住人が煙臭いことに気付き消防署に連絡してくれたからでした。その偶然がなければ、5階建てのビルは全焼したかもしれません。

 その後、僕は朦朧としたまま消防署、警察署で取調べを受けたのでした。担当していただいた消防士さんがやってきて「兄ちゃんはほんまツイてるで。火というものはな、時に科学では割り切れんことがあるんや。いくら調べてもこんなに燃えるわけがないということがあれば、逆に不思議なくらい被害が少ないこともある。不思議な世界や。兄ちゃんは守られとる。池田(隣町)に〇〇分社というええ神社があるからそこへ行ってお祓いでも申し込んできたらええわ」と思いもよらぬアドバイスもいただいたのでした。

 翌日から、僕は狂ったように店を磨きました。洗剤を買い込み、カウンター、壁、トイレ…。くねったボトルやレコード、CDなどを掃き出し、かろうじて使えそうなものをまた磨く。もちろん、そんな作業では再建は不可能です。でも、店は自分のすべて、我が子の様なものだったことに気付きました。煤だらけになりながら何度も何度も涙して「ごめんな、ごめんな」とつぶやきました。

 そんな日々の中でも、こんな田舎町の15坪というのに家賃31万5千円は払っていかなければなりません。生きていくためになにができるのか。考えても何も浮かばないので、とりあえず屋台を始めました。最初は歩道に出て、ぬるい缶ビールとミックスナッツを並べます。

 するとすぐにまた警察が来て、公共の場ではできない旨の注意を受け、今度は店先のテラスに並べます。が、いくら近所の酒屋で冷えたビールを買ってきたと言っても、中途半端にぬるくなってしまいます。そこで、ある日、産業廃棄を職業とする客が中古の屋外用冷蔵庫をプレゼントしてくれたのでした。

 これが、ちょっと音はうるさいけどまだ生きてました。水をはってビールやジュースをたんまりと浸け込み、1本300円で販売。やがて、音がないなんてありえない、と店でよくライブをやってくれていた人たちが、ギターを持って歌いに来るようになりました。さらに常連の女の人たちが、洗剤や雑巾、食べ物を持ってきてくれたり。中には弁当を持ってきてくれる人もいました。

 当時の僕は一人暮らし。毎朝5時頃に家に帰り、陽が昇ると同時に眠りにつき、夕方から買い物に行って店を開けるというルーティーン。営業中は酒と精神不安定のためか食欲は殆どなかったものが、外の空気を吸っていくうちに徐々に食欲が再燃しだしたのです。

 僕はなんだか恥ずかしくなりました。それまでの僕は常に疑心暗鬼だったからです。でも、いざとなると人はこんなにも優しいなんて。今の自分がこうして生きていられるのは、みんなのおかげだったのかと痛感しました。

 店はどれだけ磨いても殆ど意味はないのですが、それでも毎日磨きに行きました。そして冷蔵庫の電源を入れて、缶ビールを冷やしておく。段ボールに「OPEN」と書いて。

 半月ほどがたった頃、家主さんから話がありました。僕はそれまで保険の存在すら知らず、毎日を必死で走ってきました。が、家主が巧く融通してくださって、凡その費用を持ってもらえることになったのです。また、再建のための工事の目途もつきます。この際だから、前のような汚い落書きやペイントだらけの店内ではなく、ちゃんと普通のお客さんを呼べるような綺麗なものにしなさい、とアドバイスもいただき、僕は二つ返事。

 1ヵ月後には、ようやく店の一部が生き返りだします。それがターンテーブルでした。生き残ったレコード、ロバータフラックのユーヴ・ガット・フレンドをかけます。真っ黒な店内に音がもどったその瞬間、涙が溢れました。一人では何もできないことを思い知ります。

 燃えてから2か月後、店の再建工事が始まり、約1か月をかけて完成しました。今度は2枚扉の入り口です。全体を防音材で固め、ちゃんと火災保険にも入りました。そして以前に消防士から教えてもらった神社に御祓いもしてもらいます。当時の我が店のスタッフ二人も参加しました。鼻にピアス、腕にタトゥーだらけの金髪のアホ男と、ムチムチボディの女子スタッフです。彼らにも清めた塩を溶かした水と白い札がついた棒が振られます。店の隅にはご守護のお守りが。「お祓いしたからもう大丈夫なのではなく、これからは店を丁寧に大切にしてください。そうすれば神のサポートがあると思います」という一言がとても印象的だった。

 こうして、店は再び生まれ変わったのです。再開したのが意味じくも開業日と同じ10月10日でした。

 店というものは、目には見えない色んな力によって生きている、ということを思い知った出来事でした。

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