フォト

動画はじめました!

  • 動く!スパイスジャーナル

Recommended book

  • (エッセイ・写真)【THE KURATA PEPPER】 (2019)小学館
  • (拙著)【おいしい&ヘルシー!はじめてのスパイスブック】 (2018) 幻冬舎
  • (拙著)【絶対おいしいスパイスレシピ】(2017)木楽舎
  • (あまから手帖連載ムック)【山海の宿ごはん】(2005年)クリエテ関西
  • (取材)【カレー全書】(2016)柴田書店

SNS

club THALI

無料ブログはココログ

スパイスジャーナル・クロニクル

スパイスジャーナル

 

●コンセプト

「スパイスが紡ぐ味と人」

 

●体裁

vol.00~vol.08 中綴じ 09~17 無線綴じ
すべて英語バイリンガルの基本並列デザイン(翻訳:Nick Musty、Alex Mearn)

 

●主なコンテンツ例

「スパイスのある食卓」:スパイスの実践目線による様々な解説
「アドベンチャーレポート」:各地のスパイシーな味と人の冒険記・レポート・写真
「味のポートレイト」:スパイスにかかわる影のプロフェッショナルにクローズアップ
「スパイス宇宙の旅」:スパイスの様々な謎を科学的に探る with近畿大学薬学部
「クッキング」:様々な料理レシピを栄養評価付きで公開 with コムラショウコ
「ドローイング」:大先輩ミヤカワアキラ氏による斬新スケッチレシピ
「ヨーガ心のスパイスです」:ヨーガ療法士 本沢みつよのヨーガの提案
「京の左」:編集アシスタントでもある河宮拓朗の京都左京区に絞り込んだスパイス処
「堀チキ愛の劇場」:漫画家料理人・堀内浩樹夫妻によるスパイシーコミック

 

●『Spice Journal』シリーズ 出版・企画・著出(出版記号:907982 club THALI)
(各号の詳細)

『Spice Journal 00』 ISBN:978-4-907982-00-3
表紙:フェンネル 内容例「日本人のインドカレー」「チェンナイの朝」

『Spice Journal 01』 ISBN:978-4-907982-01-0
表紙:グリーンカルダモン 内容例「カルダモンのカレーとチャイ」「チェンナイの昼」

『Spice Journal 02』 ISBN:978-4-907982-02-7
表紙:シマトウガラシ 内容例:「究極5種のスパイスマニュアル」「チェンナイの夜」

『Spice Journal 03』 ISBN:978-4-907982-03-4
表紙:月桂樹の葉 内容例:「究極のホールスパイス5種」「夢のハイデラバード」

『Spice Journal 04』 ISBN:978-4-907982-04-1
表紙:カレーリーフ 内容例:「沖縄大原農園でクッキングライブ」「ナンのトリセツ」

『Spice Journal 05』 ISBN:978-4-907982-05-8
表紙:ヒング 内容例:「河原でスパイスピクニック ライブ版」「タンドリーチキンのトリセツ」

『Spice Journal 06』 ISBN:978-4-907982-06-5
表紙:複数の写真をコラージュ 内容例「AHB朝昼晩レシピ48品」「デリーのちょい冒険」

『Spice Journal 07』 ISBN:978-4-907982-07-2
表紙:ターメリック 内容例:「風邪と戦うスパイス料理」協力:近畿大学薬学部

『Spice Journal 08』 ISBN:978-4-907982-08-9
表紙:シナモン 内容例:「南インド料理ドーサのトリセツ」「クマール・ナラヤナサミ氏」

『Spice Journal 09』 ISBN:978-4-907982-09-6 
表紙:ジャスミンライスとクミン 内容例:「アジア米の輸入状況、種類、炊き方、レシピなど」

『Spice Journal 10』 ISBN:978-4-907982-10-2
表紙:天然山葵 内容例:「山葵の断面、部位、おろし方、探検採取、調理、プロ料理人の提案」「山椒」

『Spice Journal 11』 ISBN:978-4-907982-11-9
表紙:レモングラス 内容例「アジア各国のお袋の味」「山葵と辛味大根を冷凍する」

『Spice Journal 12』 ISBN:978-4-907982-12-6
表紙:スペアミント 内容例「ひとり暮らしグルメ」「ヨーガの根本を座学する」

『Spice Journal 13』 ISBN:978-4-907982-13-3
表紙:ダールマッカーニと花椒 内容例:「インド製レトルトカレー試食会」『カンボジアのおかん日誌」

『Spice Journal 14』 ISBN:978-4-907982-14-0
表紙:胡椒 内容例:「カンボジア・クラタペッパーを訪ねる」「胡椒の薬効を探る」「バンコク行脚」

『Spice Journal 15』 ISBN:978-4-907982-15-7
表紙:コリアンダーの花 内容例:「与那国島クシティ伝説」「プロのレシピ」「漫画・シンガポールへ」

『Spice Journal 16』 ISBN:978-4-907982-16-4
表紙:生姜 内容例:「土佐の若手生姜農家を密着取材」「各国の生姜料理言い伝えレシピ」

『Spice Journal 17』 ISBN:978-4-907982-17-1
表紙:レシピノート 内容例:「THALIのレシピ17品」「漫画・変なカレー屋に導かれて」

 

●原型となった企画のたちあげ

1999年 *関連記事(スパイスジャーナル誕生秘話①)

 

●実際の創刊日2010年3月25日

*関連記事(スパイスジャーナル誕生秘話②)

*関連記事(スパイスジャーナル誕生秘話③)

 

●創刊した理由

(1) それまで「スパイス」というキーワードを用いたとしても、その殆どはありきたりの原産地や歴史の話しかなく、実際の料理の技術や特徴に関する話をしたものが少なかったため、特に主婦や会社勤めなどの一般層に向けてそれを明確に表現しようと思った。当時すでに具体的なことを書かれた名著がわずかにあったが、かなりマイナーな存在だった。インドファンはかなり少なく、いたとしてもちょっと変わった人というような扱いを受けていたように思う。しかしその分、俄かではなく本物のインドファンが多くいたというのもまた事実。『THALI』には中部圏や関東圏などから駆けつけるインドマニアもいた。

(2) 2010年頃は出版大不況と叫ばれ、関西の編集・ライター・フォトグラファーたちの多くが上京したり転業に追い込まれる一方で、クリエイターたち同士の狡猾な椅子取り合戦が繰り広げられ戦々恐々としていた。相手を陥れたり、騙したり、奪い合うよりも、新しいものを生み出すことで仕事が増えるのではないか、またどこかの誰かが刺激を受けて俺もやってみようなんてことにならないか、そこまでいかなくても何かのカンフル剤になるのではないかと考え無謀とはわかっていたが創刊に踏み切った。

(3) なんでもかんでも「カレー」と言われる、その言葉にうんざりしていた。

(4) 店におこる日々の出来事が、またお客さんの気持ちそのものがネタであり企画となっていた。多くの人々が「こういうことをテレビや雑誌で取材してくれたらいいのに」と漏らしており、カワムラは「書く」という世界で何とか形に出来ないかとずっと胸の中で責務感のようなものを抱く毎日だった。

(5) 1990年代後半においてもすでに薀蓄をひけらかす人が何人かいて、聞きたくもないのにそんな話を得意気にするものだから聞かされているほうは堪らず、店の中でお客さん同士が論争状態になることもあった。いろんな本を読み、店を食べ歩き、人から聞いたりして、自分こそが誰よりも通だし味がわかるということを誰かに示したがっているのを感じた。

 これはインド系のファン特有の現象であることを感じると同時に、時代全体として情報過多が急速に進むことで、その殆どは理論武装をしようとしているように見えた。カワムラはとても深刻な状態に感じ、当時の店の記録を大阪のとある雑誌編集長宛に何度か送ったことがある。文字情報を扱うプロとして、いま本当に世のためになることとは何なのか、という疑問と提案である。これをきっかけにその雑誌で街のオピニオンリーダーたちを集め緊急会議が開かれその模様が特集されたことがある。

 理論や情報よりも、自分が経験をしてその身体で感じる感動を味わおう、という意味をこめて、読めば読むほど自分も動きたくなる本を作ろうと思った。

●Spice Journal クロニクル

 特に2000年頃まで、テレビや雑誌などのメディアでは、なんでもかんでも「カレー」という言葉で一絡げに扱い、結果的にお客たちもみんながみんな「カレー」という言葉を口にしており、時代と共にカレーばかりを食べ歩く、いわゆるカレーオタクも急増し(昔からいるにはいるが)、カレーだけの店の情報誌なども盛んに発行されていた。

 しかし、多くのインド人やネパール人、スリランカ人、パキスタン人などと公私共に付き合いしている中で、実際に彼らが食しているのはカレーは一部であって、そのほかに野菜料理、豆料理、麺料理、各種の漬け物、ヨーグルト料理、米料理など多様であり、それらの魅力を伝えるべく、幾度も企画を編集部へ提案するものの「そんなのはマニアックな話で人々はカレーを求めている」という理由ですべて却下された。

 しばしばレストランのまかないや家で食事を呼ばれていたカワムラとしてはそのおいしさやヘルシーさ楽しさは、実は日本人がとても喜ぶのではないかという思いが消えることはなく、縁あって1998年三重県松阪市で、カレー以外の様々なおかずを一枚の皿の上に載せた定食ターリー専門店を作る。店名『THALI』(ターリー)。

 が、「カレーとライスだけを出してくれ」「もっとコクと甘みとパンチのあるカレーを出せ」などと言われ続け、中には大阪や東京の有名店へいって「教えてもらってこい」と言う者もいた。ちなみにこのときに名を揚げられた店はすべて知り合いだったり取材したことがある店ばかりだった。

 一方で「新しい味だ」「ヘルシーだから好き」「インドに住んでいたことがありとても懐かしい」などと言って通う常連客も少なからず現れ、カレーではなくスパイスという言葉をキーワードに、地元の新聞や雑誌、テレビなどの取材も増えていった。このときの「スパイス」という言葉には、現地式の料理名を言ってもわかりづらいし覚えにくいので、理解していくためのきっかけになると思いカワムラは意識的にスパイスという言葉を多用していた。

 また、縁あってアメリカ人、オーストラリア人、インド人、スリランカ人、パキスタン人、カナダ人など諸外国の常連客も多く集まった。そして彼女たちに共通したのが、日本人に対して言葉や習慣の壁を強く感じていたこと。それは英語を話せないということよりも、日本人の多くが、どこからきたのか?なぜきたのか?なにをしているのか?日本をどう思うのか?日本食は好きか?どこに住んでいるのか?などと決まった質問をするばかりで、普通に分かち合いをしてくれない、ということが共通した悩みだった。

 日本人はみんな仲間意識が強く、友人知人身内だけで仲良く付き合う民族、と多くの外国人の目にそう映っていたことを思い知る。より、その排他的かつ身内よがりという気質が顕著になるであろうと思われる田舎町にいたことで、当時のカワムラもまた外国人のような立場であることを痛感していただけに、彼女たちの寂しさが身に染みてわかった。

 『THALI』では夜になるとどこからか外国人の常連客がやってきては他愛もない話題で盛り上がり、店が終了した後は、共に海岸まで散歩したり、ダンスパーティなどを楽しんだ。当時の外国人常連客の大半と今も連絡を取り合うなどして交友関係が続いている。

 その後の2001年、色々あって店をクローズし大阪に戻りライター業に復帰するが、『THALI』の常連客から「もう一度あの料理を食べたい」などと多くの熱望をいただき、スパイスキットを開発したり、イベントに呼ばれることが増え、いつのまにか他方からも声がかかるようになっていった。遠方では東京や沖縄へも。

 2001年~2006年。この当時の仕事の大半は東京で、一部は大阪という状況だった。内容は広告制作やテレビ構成、雑誌の企画や取材などが中心。その傍らで「カレー」はもとより「スパイス」にテーマを置いた執筆依頼も増え、ようやくカレー特集ではなく「インド料理特集」なども実現。特集ではなく囲み記事やコラムなどではさらに一歩踏み込んだ深い話を書くことも徐々に増えていった。

 しかしインターネットやブログの普及により、その便利さからカレー・インド・スパイスに関する取材依頼が激減。同時に再び、「カレー」という言葉に圧倒されていくことになる。そんな中で、取材で知り合った全国各地の農業水産業畜産業の方々から、これで何かスパイスの料理を作ってみないか、といって頂き物が増えていく。だが、当時のカワムラのオフィスは料理をすることは禁止だったので、たまたま見つけた箕面の倉庫を借り、厨房とオフィスを併設した不思議なアトリエを造る。

 2007年初夏。これをスパイス料理研究所『club THALI』と名付けた。クラブとつけたのはちゃんとした商売ではない、生業ではない、しかし松阪の『THALI』の延長線上にあるもの、という意味をこめてのことで、言葉の響きがいいとか格好をつけるために称したのではない。

 広さは約10坪で天井は3メートル近くあり、壁を真っ白に塗り、電源を随所に設置。木目が浮き立つ食卓はかつての常連客であった木工作家の阪口孝生氏が作成。三重県産の杉を使用している。撮影することをイメージしてこのように創り上げた。

 毎週土日あたりに生産者から送られてきた食材を使い様々なスパイスを使った料理を作るうち、近所から「いい匂いだけを出すのはアカンやろ、我々にも食べさせろ」と言われ、仕方なく毎週日曜のみ食堂公開日とした。完全予約制でどんな素材を使用していてもターリー1枚1000円。その代わり感応評価を細かく記入していただく、という言わば公開試食のスタイルであった。

 このようにちゃんとした飲食業ではないために知人であっても一切の取材は受けないようにしていた。本気で商売をしている人(生業者)に失礼という思い以外何物でもなかったのだが、中には「偉そうだ」などと誤解する者もいて、「あいつは値打ちをつけている」などと流布をする悪意のある者もいた。

 編集業界でも様々な評判が飛び交いだした。そこである旧知の編集者が、カワムラに箕面特集ページを担当させ、その最後の片隅に自分がやっている活動のことを自らのペンでちょっとだけでもいいから書いてほしいと相談され引き受けることに。

 だが、やはり一度露出してしまうと見境なく色んな媒体が取材を申し込んできた。すべてではないが、せっかく声をかけてくれているのだからという同業者への感覚もあって多くの取材を受けるようになったが、一応全員に事情を話すものの、真面目に受け取ってくれるところは少なく、結果的には多くのメディアが自分達の都合のいいように編集し伝えてしまった。

「週に一度のプレミアムカレー」「限定20食の唯一無二のカレー」などと大げさなキャッチをつけられ困惑したが、まぁそれほど神経質になることもないだろうと、変わらずライター業を中心にいくつかのレシピ開発の依頼もうけながらの日々を送っていた。

 2008年、ある日突然に妻が大病を患う。仕事のすべてを停止しおよそ10ヶ月に及ぶ闘病生活を共にすることに。

 2009年、妻は見事に復活。カワムラはいちから出直そうとするが、世間はますます出版大不況と戦々恐々となっており、雑誌の仕事をするのも難しい状態だった。家事もこなす必要があり、この状態での上京も難しいものがあった。そんな矢先に東京でお世話になっていたデザイン会社の社長から「ここまで来たんだからカワムラが本当にやりたかったことをやろう!」と背中を推され、1999年に企画してお蔵入りとなっていた出版企画を決行することに。

 2010年3月25日。スパイスジャーナルを創出。第1作目の体裁はA5、右開き、32ページ、中綴じ、フルカラーで2000部印刷。売価を300円とするものの税金のことを忘れており、後に営業に訪れた先の書店員からアドバイスを受け、税抜き本体価格を286円に設定しなおす。価格はその他386円、600円と3種類ある。09以降はすべて600円68ページに。

 季刊、年3回の刊行ペースで2015年1月まで継続する。全18巻を作成した。