カテゴリー「ライターとして、料理人として」の94件の記事

スローフード、そば、食紀行、旅、人などが得意テーマ。また料理人の端くれとしても

2018年版ニュースページを更新しました

カワムラケンジの2018年版のニュースページを更新しました。

こちらは主にメディアに取り上げていただいた情報を記録しています。今年はラジオが多かったです。

各メディアの方々、お世話になりありがとうございました。来年も少しでも注目していただけたら幸いです。

キッチンを掃除していよいよ自作の食器を




久しぶりに我が家のキッチンを掃除しました。
といっても家そのものでなく、あくまで僕のモノを大掃除しただけなので中掃除。

今までやってきた店やキッチン&オフィス(かつてのスパイス料理研究所)のかなりのモノを人にあげてきたわけですが、それでもまだまだ小さな店くらいなら出来そうなほどモノが溢れています。

そこで取捨選択を生き残ったものとして、自分が焼いたへたっぴな食器があります。

飲食業の道に入ったのが16歳。そして食器に興味を持ち出したのが20歳の頃。最初は食器を飾るインテリアとしての鉄細工から始まり、その道の作家さんの工房に通い出し、次はガラス工芸作家へ。その方は僕が勤める店のワイングラスを作っておられました。

その後はボーンチャイナのプレートにどハマり。ナルミやノリタケは支社のショールームまでなんども通って見惚れたものです。

23歳で生まれて初めて自分の料理のための食器を作りました。当時は高級スポーツクラブのラウンジ運営を委託で請け負っていて数々のヘルシーメニューを開発しまくっておりました。

その中に、茶そばや手作りわらび餅などの膳「竹取物語」なるメニューがあり、その食器もオリジナルに徹したのです。

あれこれ考えて調査を経て、竹細工をすることに。竹そのものも自分たちで収穫します。産地は店からほど近いクラブの会員さんが所有する竹やぶ。

スタッフたちと共に5、6本切ったでしょうか。それを持ち帰り、好みの形に整形していくんですが、ど素人だからそれでは全部割れてしまいます。

竹は硬くて丈夫だけど縦にすぐに割れてしまうので、よくよく乾燥させてから細工しないといけないんですね。

地主の方に説明してあらためて収穫に。いろんな方が教えてくれました。こうしてこれくらいになるまで乾燥させるのだと。

そこで準備ができた竹から細かく切っていきます。これがなかなか硬い。なんとか大中小のパーツを整えます。

やや曲線を持ちつつも長細い形の皿は副菜やデザート用に。幅1センチほどの棒はタコ糸で編んでそばを載せる簾に。細い部分は輪切りにして上部を薄く削ってそば猪口にしました。

素人なりにこれがまたいい感じで実に好評でした。

こんな風に僕は常に食器への思いが料理と同じくらいあるわけですが、2007年には兵庫の陶芸教室まで行って、ターリーというインド料理を載せるプレートやプレート、お椀、小皿などを何度も作成。

教えてくださった方は、下手くそがいい格好したがったものほどダサくなって、下手くそでも素直に焼いたものほど少しずついい味が出てくるものだ、と言うのですがその言葉がようやくわかってきたような気がします。

今回掃除してて、これは捨てられないと思ったことはもちろん、今までも使ってはいたけどあくまで補欠的存在だったものを、これからは最前列にしようという気になりました。

というのも今でもたまに食器は見にいくし、取材でもしばしば注目しているのですが、自分が焼いたものって否が応でも超オリジナルであることに気づきました。

それに何より、陶芸の先生が言うように、捨てずに残してきた自作の食器はどれも実に味わい深いものだと思えてきたのです。

あえて指や手のひらで整形したものばかりで、色は基本的に白色ですが、釉薬をつけてないものもあって、それらは薄茶色。

とはいえスパイスべったりだとやはり染まってしまうので、それも今まで料理を選んできた理由です。が、何枚かはスパイスが染まってしまったものもあり、それはそれでまたいい風合いになっているようにも思えます。

というわけで、今後は遠慮なくスパイス料理にも使っていこうという心意気です。

来月は3回合計20ほどの料理を作成する予定ですが、積極的に自作の食器を使おうと思います。

ウッシッシ〜楽しみです(^ω^)



執筆と料理の秋

昔から秋は食欲とか読書とか言われてきましたが、完全アウトサイド街道を生きてきた僕にはまったく無縁でした。

それどころか、16歳から料理を提供する側になり、20代後半からはものを書く側になってしまい、いやはや人生はやっぱ不思議の連続ですね。

しかもこの10年は家事にも追われるというさらなる不思議な状態に。10代はバイクで駆け抜け、20代は酒と女と博打に…というと引かれそうだからこの辺でやめといて。

それが今のカミさんが大病して以来、ジャンル的には10代から変わってないけど、立ち位置が正反対になりましたね。

もっとも身近な家族であるカミさんのために食事を作り、買い物、送り迎えもセットでやるのが毎日の仕事に。

掃除は半々というか力仕事は僕で、細かいのがカミさんに。ただ、彼女は元々読書の虫で、僕は教科書すら売っちゃうようなアウトサイダーですから、まさか書く仕事なんてするとは誰も思ないわけですが、そんな僕の不器用すぎる文章をカミさんは偉そうに校正の上の校正をしてくるのです。

それって何かというと、通常の編集者はアカや指示を出してくれるものですが、カミさんの場合は、あーつまんない!とか、むつかしい!とか、飽きる!とか、お前それじゃ僕が勤めてた超ガラの悪い、でも澄んだガラスープが自慢の中華屋の超わがまま客と同じじゃないか、と。

アホなこと言うな!となるのですが、お客と同じだと思うとそれこそが一番大事なフィードバックとなるわけで、悲しいかな言われ放題の現場で育て上げられてきた僕としては否が応でも必死になってしまうのです。

で、こんなムカつく生活の中で今度はおふくろが認知症になってしまうのです。

これはもう説明不可能。うちの場合は進行がなかなか早い方のようで、外見的には兄貴の嫁さんと同居なのでよかったね、となりそうなもんですが、実はその逆で、それがもしかしたら原因で認知症になっちゃったんじゃないかと言われるような状況で。

具体的にはおふくろや義姉のプライバシーのために黙っておきますけど、とにかく杓子定規な物の考え方は全く当てはまらない。

医療関係者や介護福祉関係者の友人に相談すると、これは完全に要介護上位レベルだそうで、対策としてはケアマネを変えるのがいい、とアドバイスを受けるも、その権限は僕にはない。

土壇場が続き、自分なりにいろいろ考えました。本当この10年、特にこの2年はますますハードに。何度逃げ出そうかと思ったかわかりません。

でも、元アウトサイダーだから、僕にとっては時と共に内側に、家に、ここでは家族に目を向けて行く運命にあるのだろうなと、思うわけです。

子供の頃、どれだけ憧れても手に入らず、完全に諦めて脳回路から排除した夢の数々。

文頭にあったように、自分の人生は世間と逆だと言うことをすでに悟っているわけですから、今はわかっています気付いています。

今では家事こそが料理研究のための何よりものいい仕事現場になっています。おふくろのための食事もさらに幅を広げて底を深くしてくれています。

言いたい放題のオバハンと、自分の歯が4本しかなく頭がぶっ飛んじゃってるお婆さん。お客は僕に選べないのは当たり前で、その上全く遠慮のない究極の2人が毎日の客。

逃げたら、人生そのものを否定することになってしまう。受け入れざるを得ませんね〜(^_^;)

ここに来て、今年も例に漏れず、著述が多忙になる秋。文才なんてかけらもない僕ですからズズッずっと勉強です。偉そうに若手を引き連れるなんて人生はたぶんこの先もないのでしょうね。

昔は常に人が周りにいて、長い間いろんな人間と共同生活をしてきましたが、今思えばあれほど楽しい時間はなかったな〜なんてね。

今は孤独が仕込みの第一歩みたいな仕事をしちゃってます。孤独がないと著述は難しい。やりたいことやって、食べたいもの食べて、いつも誰かとベタベタしていると、自分を俯瞰してみることはできませんから。

ただ、その俯瞰されたものが人と共有できなければ売れないわけですけど。今はみんながとにかく誰かとベタベタする時代になっていると言う仕事仲間もいます。確かにそんな気配もあるな〜

SNSでいいね!押してないと干されちゃうとか。本当かな?と思うけどどうやら若者の間ではそれがイジメにも繋がっているのだとか。

なんだかよくわかりませんが、そう言う人が増えていくと、そう言うものしか売れなくなっていくのは当然のこと。

でも、まだまだたくさんいると思うんです。まずはちゃんと俯瞰して、推敲と校正を重ねてこそ成し得る、真っ当なノンフィクションといいますか、時に演出もあるでしょう。とにかくプロの作芸に面白みを感じる人が。

ま、僕は世の中や他人を評論する立場にはいませんし、とにかく自分自身のことで精一杯というのが現状。

さて、大きな企画が一本終わって、ちょっと一息つけるようになった今週。来週からまた次の企画に向かって走っていかなければなりません。

読書は今なお苦手ですが、その分お前は書け!食欲の秋だから人のために家族のためにうまいものを作り続けろ!

そんな風に神様から言われてるみたいな。
あぁ〜誰か僕とデートしてくれへんかな〜







9月10月と、

歩くということ②~熊野古道取材の記録

鬼瓦権蔵(;゚∇゚)/、いや、うちのカミさんの将来の夢、「いつか熊野古道を歩きたい」のための、カワムラ取材録第二弾です。

前回はJTBるるぶ03~04での、熊野古道とそこに通じる街道(東海道、伊勢街道)での記録でした。実際に僕自身が、一眼レフカメラを片手に、三脚を肩にして延々と何十キロかを歩き取材撮影したものです。

情報誌レベルの取材でここまでするのはちょっと聞いたことがないのですが、僕は媒体が何であれ、本当に読者目線(この時は旅人目線)に立って取材を進めていくのが昔からのやり方。

当然、経費も時間も非合理極まりない、ということはしばしば。でも、本当に気持ちよく取材し、何よりも本が出てから本当に人のために役立ってもらうことを考えると、これ以外方法が思いつかないわけで。

そういう意味では15年経った今でも、まったく色あせていないと思います。古書屋でもなんでも、ぜひ探してみてください。

で、今回の熊野古道の取材録は何か?それは『新にっぽん風土記』という連載もの。これは『TOMORROW9月号』( ㈱ライフ会員誌)という本で、北海道から沖縄まで、毎月全国各地の郷土料理、スローフード、ご当地を愛する人々を取材していました。

とても立派なクライアントが出資する会員誌で、企画、編集、取材という一式を請け負い、とてもやりがいのある仕事でした。なので10年経った今も、つい昨日のことのように思うし、何よりかわいく思えてなりません。

写真は千倉志野さんという、めちゃ素直で優しくて、でもどこかに大胆さがあるフォトグラファーが担当してくれてました。

この『TOMORROW9月号』では熊野を特集。まず「食」から入って、後半に歩く話へ流れていくパターンです。

本誌はA4判型、フルカラー、基本6ページ、たまに8ページの展開でした。以下、生原稿記録です。

 
■連載『新にっぽん風土記』P26~31(TOMORROW9月号 ㈱ライフ会員誌)
(2008年。写真:千倉志野)
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「熊野の熟れずし」

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熊野とは、紀伊半島の南部一体をさす古来の総称。
自然を神として崇めてきた日本人の信仰の象徴として、
熊野三山の霊場と参詣道が世界文化遺産になっている。
今回はそんな聖地に継がれる「秋刀魚の熟れずし」を詣でよう。
 

時を越えて蘇る「本馴れ鮓」

 目指すは熊野三山のひとつ速玉大社が鎮座する新宮だ。新大阪駅から特急で約4時間。車窓から太平洋や深い山々を眺めていうるうちに、さまざまな思いが馳せてくる。

 かつて熊野詣でを繰り返したという京の上皇や貴族は、この道をいったい何日かけて歩いたのだろう。長旅を強いられた古人のこと、きっと熟れずしは貴重な保存食だったに違いない。近江の鮒ずしのようにきつい匂いがあるのだろうか。

 いろんな空想をよぎらせながら夕方5時過ぎに新宮駅到着。駅から歩いて10分ほどの『東宝茶屋』で、2代目店主の松原郁生さんが満面の笑みで迎えてくれた。人懐っこくて穏やかな人柄もこの地の特徴である。
「遠路はるばるお疲れ秋刀魚ずは一杯いっときよ。秋刀魚の熟れずしは酒とやるのが一番やし」

 というわけで、本州最南端の酒蔵としても名高い新宮が誇る尾崎酒造の「太平洋」からはじめる。

「一言で秋刀魚ずしと言うてもいろいろあってね。ひとつは酢飯で作るいわゆる早鮨。次に今でも家庭で漬けられる1か月ほどの早熟れずし。そしてもう一つがこれ、うち独自の“馴れ鮓”よ」

 そしてついに待望の熟れずしとご対面。が、思っていたより匂いはやわらかで、塩気も少なく味にクセがない。秋刀魚はハムのようなしっかりとした歯応え。噛み締めるほどに、香ばしい旨味が滲み出してくる。シャリは近江のそれとは違い、こちらは魚と一緒に食べるスタイル。お粥以上、通常のご飯未満の形状と食感で、角のない酸味は実に食べやすい。ここに酒を含むと甘味が倍増する。

「この食感と香ばしさを出すには、熊野で獲れる脂の少ない引き締まった秋刀魚でないとあかん」

 黒潮が近い南紀は、同じ魚でも時期ごとに質の違うものを捕獲できる好漁場である。すしに向く秋刀魚の最盛期は三陸沖から寒流にのって南下してくる晩秋という。

乳酸のさっぱり感、天然アミノ酸の深い味わいに浸っているうちに、店にはいつのまにか常連客たちが集まっていた。隣にかけた一人の男性が声をかけてくる。

「せっかくここまで来たんだから、“本馴れ鮓”も食べなきゃ」

そう言って勧められたのは、なんと30年ものの熟れずしであった。わずかに秋刀魚の皮が残る程度で原形は留めていない。箸の先につけてなめてみると、魚のだし汁とヨーグルトを混ぜたような味がした。男性がすかさず「これでやると倍うまい」と言って、赤ワインを注いでくれる。するとどうだ。口の中は塩気とコクが浮き上がり、まるでハードタイプのチーズを溶かしたようなまろやかな味となった。

「“本馴れ鮓”は当家の考案と思っていたけど、聞くところによると大昔はおそらくこれに近いものが存在していたとか。保存食でもあるから信憑性の高い話やね」

 ほかにも鮎や山女【ルビ/やまめ】、鯖なども郷土料理として存在したという。川魚の本場は熊野川上流。かつて本宮大社から速玉大社へ参詣するために使われた禊ぎ【ルビ/みそぎ】の川である。

 この後、熟れずしは地域によって微妙に味や形が違うこと、今でも酒のつまみとして愛され続けていること、また正月には各家庭で漬けて食べられていることなど、話は夜更けまで延々と続いた。
 

熟成の町・新宮を詣でる

 翌日、町の人々から教えていただいた名所へ散策に出る。まずは駅から歩いて15分ほどの権現山【ルビ/ごんげんやま】。速玉大社の神が降臨した神域として名高い。538段もの急な石段を登ると立ちはだかるのは神倉神社。高さ100メートルほどの断崖絶壁に立ち、晴れた日ならコンパクトな新宮の町と壮大な太平洋が一望できる。

 ちょっと運動した後は、喫茶店に寄る。『喫茶バンビ』は、新宮に160軒以上もあるといわれる喫茶店の中で唯一のストレート珈琲専門店。店は仲之町商店街から細い路地を入った先にある。店内は銅版カウンターのみのわずか6席。売りは美味しいコーヒーと小西さんご夫妻の絶妙なコンビネーションだ。弘さんは寡黙にサイフォンを見続けながらも、時折、奥さんのしげ美さんの客とのやりとりに笑みを見せる。

「そうかいな、郁生さんとこを取材。ついでに言うとくけど、うちも創業30年でかなり熟れとるよ」

 しげ美さんの魅力は歯切れのいい冗談だけではない。地元の主婦から企業経営者、さらに旅人までの幅広い人々と、臨機応変にコミュニケーションしていくその接客能力の深さにある。それでいながらも引き際を心得た潔さもある。珈琲共々、香りは高いが後味すっきり。長い時を経てこそなせるお二人の熟練技であった。

 この後、世界遺産の速玉大社や、紀元前に不老不死の霊薬を求めて渡来してきた伝説の徐福の公園などを巡る。各所へは駅から歩いて30分以内。たった一日で日本のさまざまな伝統と出会うことができるから、これほど贅沢な旅もない。

 新宮には今なお熟成と再生を繰り返す人々の暮らしがひしめきあっている。
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歩くということ①~熊野古道取材の記録

うちのカミさんの夢は「いつか熊野古道を歩くこと」なんだそうです。大病や怪我など肉体的な壁を幾度も乗り越えてきたものの、杖が必須になって早4年になります。

日々の体調にもよるようですが、調子がいいと家から駅までの1キロを歩くことができることも。でも、行きは長い坂道になるので一気には難しいようです。

どうせ、またいつもの口だけ、と思っていたのですが、珍しく同じ言葉を聞いたのが3度目なので、あぁこれはどうやら本当なのかなと。

そこで、ふと思い出したのが、歩く取材です。僕は街でも野原でも山でも海外でも、とにかく歩き倒します。

今まで熊野古道にも、あるいはその周辺の街道の取材もおそらく10回くらい行っていて、そのうち5,6回は実際に行脚しています。しっかりと歩けていない取材は、フォトグラファーや編集者と団体行動で車移動を余儀なくされるからです。

で、その歩く取材の中でも、3、4回は自分でカメラをもって10キロ以上の距離を歩いています。写真と文章の二本立て、ジャーナリストか旅人状態ですね。

他の同業者はどうか知りませんが、多くの場合はネット、今ならSNSなんかで調べて、ちょちょいとポイントを決めてそこに行ってさくっと話聞いて、時にフォトグラファーに写真撮影させてそれで終わりってなものですが、僕の場合は最低でもその時のテーマにあわせて読者目線にこだわります。というか自然的にその発想・視点しか思いつかない。

例えば、歩く旅なら本当に歩いて旅をしながら、話を聞いたり写真を撮ったり。峠を上り下りしながら山の頂上でおにぎりを食べておいしい取材なら、その通りのことをやります。グルメ取材も同じ。例えばビジネス街のランチ特集なら、その地域へ平日と土日の両方でかけて、昼時間に人込みに埋もれて、人の流れやにおいを嗅いで歩き倒してから店を選出します。

だから、薄利多歩です。最も時代に合わないやり方かもしれませんね。でも、これだと自分に嘘をつかないですむから堂々としていられて心が健やかです。

熊野古道をちょくちょく歩いたのは世界遺産前後の、2003~2005年あたり。当時、僕が持っていたカメラはニコンFEシリーズの一眼レフでポジフィルムです。なので直射日光、高温多湿はご法度で、たくさんのフィルムや他の道具を入れるバッグと三脚を背負いながらですから、これがなかなか大変でして。

歩く、という作業はどんな賢い理屈も情報も殆んど通用しなくなるんです。正確には必要な情報だけもっておいて、それ以外は捨てたほうが楽という感じ。歩き続けるために最も必要なのは情熱。次に体力。そして僕の場合はカメラとペンになります。

原稿や掲載紙を探るのは大変ですけど、とりあえず今パソコンに入っていた原稿の一部を保管後代わりに貼っておこうと思います。
 

■街道をたどる シリーズ3 (るるぶ伊勢志摩'03~'04 P106-107)
(2003年8月の記録。媒体の体質上、エッセイ風ではなく淡々とした情報原稿となっている)

◎峠道「波田須~大吹峠~熊野」(約8キロ4時間コース)
☆ポイント  天女座(たまに開いてる!?カフェ)~竹林~大吹峠~大泊駅~松本峠~石畳~記念通り商店街~「喜楽・さんま寿司」~「志ら玉屋・甘いもん」熊野市駅

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三重、奈良、和歌山の3県を張り巡る熊野古道で代表的なのは、京の上皇などが紀伊半島を西回りした紀伊路と、東国の武士や庶民が東回りした伊勢路の二つである。共通しているのはどの道も、不浄の者や僧侶が参宮を禁じた伊勢神宮とは対照的に、身分や貴賎を問わず誰もが参ることのできた神仏同一といった熊野三山に向かっているということだ。今回は昔のままの峠道や石畳が多く残り、またリアス式海岸と20数キロも続く浜が眺望できる伊勢路経由の松本峠付近を歩く。
(熊野市観光商工課05978-9-4111)

 
古道の醍醐味、
苔むす石段の松本峠
 
 峠を歩く前にJR熊野市駅のすぐ前にある食堂、『喜楽』を尋ねる。黒潮がぶつかる熊野では脂の少ない引き締まったサンマが取れる。漁師の奥さんがそれを寿司にして、漁に出た夫の帰りを待ったというサンマ寿司。そしてもう一つ、めはり寿司も食べる。険しい山の合間で働く農家の食事で、醤油漬けの野沢菜でご飯を巻いた大きなものだ。中身は白飯、時にひじき飯だったり各家によって変わる。熊野の環境と人々の暮らしが見える2大郷土料理である。
 
 食事を終えたら、すぐの記念館通り商店街を抜け、民家の合間にある『松本峠登り口』の案内を曲がる。ここを入るとすぐに段々畑の脇道となり、急な坂や石の階段が待ち受ける。頂上までわずかなはずだが、段差の大きな階段が曲がりくねり、中々時間と体力を要する。軽装備で履きなれた靴をお勧めする。だが随所で熊野灘を眺望できるポイントもあり、爽快な気分も手に入る。
 
 やがて高い木々や梅林に包まれた道に入り、その辺りから苔の生えた石段が。これぞ熊野古道の醍醐味である。日本で最も雨量が多い熊野一帯。急斜面の山が多く、突然の土石流を避けるために、古人がこの石段を作ったのだ。一つ一つ踏むたびに、いにしえの風情が足に伝わる。
 
 そしていよいよ、頂上に到着。ここには鉄砲で撃たれたと伝わる大きな石地蔵があり、かつては寺と茶屋もあった場所である。ここをまっすぐ北へ進むとJR大泊駅に向かうが、今回は熊野灘の荒い潮が彫り上げた岩が聳える東側の鬼ヶ城へ向かうことにする。落ち葉が積もった柔らかい土道。やがて東屋風の展望台が丘の上に見えてくる。ここから見下ろす七里御浜は圧巻だ。砂利をさらう細かい音が織り成す潮騒は地面を鳴らす様な低い音で聞こえてくる。春は太陽が眩しく、夏は涼しいそよ風が吹くポイントである。
 
 先に進む。すぐそこには鬼ヶ城本城址と海が近くに見える見晴台がある。そして、この周辺は2000本もの桜が溢れ、春には花びらが乱舞する場所でもある。桜の合間を縫うように下っていく。到達したのは売店やトイレのある広場だった。目の前が鬼ヶ城である。高さ十m以上もある海食洞が1キロも続く断崖の島だ。上を見上げると尖った岩が迫り出している。崖の淵に這うように細い階段があり、この岩を一周できるようになっているが、悪天候のときは立ち入り禁止となる。岩をも砕く潮がぶつかってくるからである。鬼が住んだという神話を妙に納得してしまう。
 
 ここから一旦国道にでて、大泊駅の方へ向う。時間と体力が残っていれば、ここから2.6km先の波田須駅まで進むのもいい。その間、大吹峠には細長い竹林の道がある。熊野古道の峠には、壮大な自然の力強さと優しさの両方が入り交ざっている。
 
●喜楽 05978-5-2336
熊野市駅前の食堂。南勢で獲れる冬のサンマはさっぱりとした味。頭付きのまま背開きにし、塩漬けしたあと、ゆずなどの柑橘系のものと合わせた酢に漬けるのが熊野流。さんま寿司430円。持ち帰りは450円。めはり寿司5個入り450円。JR熊野市駅前 熊野市井戸町653-14 11時~18時 P4台
 
●松本峠
熊野市などが提案するいくつものコースの中で、駅からのアクセスが便利で、山と石畳が歩きやすく、日本の渚百選でもある七里御浜などの絶景を楽しめるのがここ。東紀州地域活性化事業推進協議会 紀北事務局(尾鷲市)05972-3-3784 紀南事務局(熊野市)05978-9-6172 熊野市観光商工課05978-9-4111
 
●大吹峠
松本峠の北側にある大吹峠には鎌倉時代のものと思われる巨石の石畳や、ヒノキや杉林ではなく古道では珍しい竹林の道がある。最寄の大泊駅や波田須駅(JR紀勢本線)は、上下線とも平均2時間に1本しか電車がないので要注意。東紀州地域活性化事業推進協議会 紀北事務局(尾鷲市)05972-3-3784 紀南事務局(熊野市)05978-9-6172 熊野市観光商工課05978-9-4111
 
●鬼ヶ城
国の名勝天然記念物。波の侵食(海食)と、幾度もの地震によって隆起してできた岩の連なり。東西片道1キロの遊歩道が続く。随所、様々な形相を見せる岩には千畳敷、神楽岩、潮吹、鬼の見張り場などと名前がつけられている。国道42号線鬼ヶ城東口バス停から徒歩5分。熊野市観光商工課05978-9-4111 入場料無料 有料駐車場あり
 
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松阪『八千代』スパイス会を終えて

去る9/28金曜日、行ってまいりました、三重県松阪市へ。

結論から言うと、うん、とても楽しかったです。お客さんも定員満席になったし、八千代さんたちとの交流、新たな出会い、そして懐かしい常連客の方々と再会できたのが嬉しくて。

中には他界されてしまった方もいらしたのですが、それでもこういう機会をいただくことで再会できる人がいるというのは本当に幸せです。

とにかく必死だったあの頃(今も必死だけど!)。なんもわからず、ただがむしゃらに生きていた時期に出会った方々とは、おそらく一生付き合っていけるんでしょうね。

見栄も駆け引きもいらない、ちょっとした家族のような。もしかしたら僕が勝手にそう思っているだけかもしれないけど。

帰りは松阪時代に最もお世話になった方のところへご挨拶に。

本当『THALI』やってきてよかったと思います。まだまだ未熟もいいところだし、色々嫌なこともそれなりにあるけど、この思いが今の自分を支えになっています。






9/28松阪『八千代』スパイスの会に向けて

いよいよ今週となった、松阪城下町の老舗割烹旅館『八千代』さんでの『THALI』イベント。

『THALI』とは、かつてカワムラケンジが松阪でやっていたインド日替わり定食の小さな店の屋号です。

クローズした2001年以降、カフェハンキードゥリーでは何度かイベントを開催してもらっているけど、それ以外では木工作家の阪口君の工房と森林公園でアウトドアイベントをやったくらい。

しかも今回は三重県で名高い、料亭でのイベントときています。まさか我が『THALI』が『八千代』さんで料理会をするとは夢にも思っていませんでした。

これまでイベントに来れなかった方々に来ていただけるチャンスでもあります。とは言え、『THALI』常連大人層の多くの方はSNSなんてやってないか、一応アカウントを持っているだけで使ったことがないような方々ばかり。

僕もすっかりSNSに犯されていて?それ以外の連絡方法に頭が行ってませんでした。で、今回あれこれと昔のアドレスを掘り探り、ようやく見つけ出した何人かの方々に電話を。

やっぱりいいですね電話は。ドキドキして出るかな出るかな(*゚▽゚*)と思ったら出たっー!

うわー声変わってない!お久しぶりです。あれからあーでこーでこうなって…へぇーそうだったんですか!嘘でしょ???

みたいな、もう何から話していいかわからなくて、中学時代に彼女の家に電話した時みたいに不整脈寸前のドキドキまくり。

店を閉めて大阪に戻ってきてからあっという間の17年。長い長い、でも早い早い。

でも、さすがこれだけの時間が経つと、あの当時でじゅうぶん大先輩だった方々はもういいお歳であるわけで。

いいことよりも、悪いこと?つらいこと?寂しこと?の方が圧倒的に多くて、なんだか泣きそうになりました。

あー僕も必死に生きてきたけど、皆さんもめっちゃ必死やったんやろな〜なんて。

大病を患う方が多く、中には再起が難しい方、他界した方も。そんなこんなで両手放しに喜べることばかりじゃないけど、でもね!こうして再会ができる方もいるわけで!

なんだか再会って奇跡のようなもんですね〜
若い時は思ったことないし、会えて当たり前だったし、時には煩わしく思ったりも。

そう言う意味で今回のイベントは、単なる料理会ではないです。もちろんはじめてお会いする方々には、かつての松阪『THALI』のご挨拶となりますし、シンプルに料理を楽しみに来られる方もいらっしゃいます。

それに加えて、僕個人にとってはとても大きな意味を持った会でもあるというわけです。

あの時があったから今がある。これはあの時には思いもつかないことでした。

僕は狙ってスパイス料理研究家になったわけじゃなく、すべてお客さんや友達、料理人、インド人!編集者‼︎ 職種関係なく親愛なる全ての方々によって育てられた1つの結果です。

だから役割として与えられた今ということになります。ちょっと興奮し過ぎて何を書いているのかわからなくなっちゃった。すみません(*゚▽゚*)

とにかく、とにかく、数日前から準備仕込みを始めているのですが、胸が熱くなって仕方がないです。なんだろう?この熱い想いは。

人生はずっと繋がって今があるんですね、としか言いようがない。

今回は変化球なしの、オーソドックスなインド料理ばかり。まかない、家庭料理がコンセプトだった『THALI』から進化した部分も提供する予定です。

ロードサイドのレストランで出てくるような料理も2、3品作ります。

気合いが入り過ぎて、当日はボロボロになるかも💦

不安と喜びがめちゃくちゃ入り交ざってます。



ペパーチキンマサラのベース完了!これはロードサイドレストラン的な一品。



今回はカシミリーチリを使います。色鮮やかさが特徴。日本には入ってきていない希少なスパイスです。インドの仲良し料理人からの頂き物です。



イベントのフライヤー



今回はバスマティライスと日本米の2種を用意します

『はじめてのスパイスブック』カラー写真集 by FB

SNSはとことん便利なすごいやつですね~

こんな技を知ってしまいました。これならあちこちに何度もアップデートしなくていいんですね。

写真は好きな時に追加できるみたいです。散らばってるものも含め、またここに追加していきますので、たまに覗きに来てください!

ただし、iPhoneで見るとなぜかキャプション(写真の説明)を見ることができないんだなぁ。僕が方法をわかってないだけかもしれませんが、すべての写真に本誌のページ数と章を記載しています。

だから、どのページの何か、というのが分かるようになっています。もし見れなかったらPCだとOKなのでぜひそちらで!

ほな
(現在、28日の松阪『八千代』イベントの準備をこつこつと始めております)

エッセイ「ミナミとカレー」

ここで言うミナミとは大阪の難波や心斎橋あたりのことであって、人の名前じゃありません。

目下、執筆中のタイトルです。間も無く締め切り。媒体は大阪の老舗グルメ雑誌あまから手帖。

今回はカワムラケンジのエッセイという個人目線ですが、昔からリサーチや校正などが厳しいことで知られる編集部です。

新旧を問わず、あーこれこそ商都であり台所であるミナミらしい店だな、浮ついたものじゃなく個性を確立できている味だな、と思う店を5軒取り上げつつ、ミナミの奥行きや面白味を語っています。

今回あちこちを歩いてみて感じたことは、今や僕のことを知らない若いカレー屋さんが増えていて、そのことがとても功を奏したと思いました。

知らないからこそ、その店の素顔が見れるんですよね、読者のみなさんと同じ目線、関わり方でもって各店を渡り歩くことができたというわけです。

街で偶然耳にしたり、まったく関係ない場所、例えば知人の服屋さんの仕入れ先とか喫茶店とか!そういう場所での口コミはご縁として大事にいただきながら。

本当色々勉強になりました。今の大阪の原寸大を肌で理解できました。つまりデマや洗脳?仕掛け?みたいなものも(笑)

怖いですね、イメージ操作というものは。何が事実で、実際にお客たちは何を感じているのか。これは渦中にいるとなかなかわからないものです。

ただ一つ思い残すことがあるとするならば、エリアがあらかじめ決められていること。

今回の対象となる圏内は、北は長堀通りから3本目の筋に出る手前までのブロック。東が東横堀つまり阪神高速道路の筋まで。南がなんばパークス南側筋。西がなにわ筋まで。

筋が違うだけで今回は対象外となったわけですが、これだけちょっと他のご商売が気の毒なほどカレー屋だらけになると、目の前にあったりするわけで。

でもこればかりは仕方がないです。いつでもどんなメディアでも、どこかにルールを作っていく必要がありますから。だからもっとこっちにもあるやん!とか言われそうですがその辺はご理解いただきたいです。

と言いましても、今回は単なる店紹介ではなく、ミナミという街の質を語ろうというのがミッションですから、そこんところを受け取っていただければ嬉しいです。

昭和40年生まれである僕の世代はおそらくミナミの栄華から下り坂を見ている世代だと思います。

それ以前の方は逆に上り坂。そして昭和後期や平成生まれの層はどうなのか?

少なくとも僕らよりかは敷居が低く間口も広いように思っている人が多い感じですね。

まーそんなこんなで、日々スパイスまみれな僕ですが、街のいろんなカレーを食べることができて久しぶりに刺激的でした。

大人がちゃんと普通に行ける、初めてでも魅力的な店を紹介しつつのミナミのエッセイ。現在の本当の大阪のカレーを感じてもらえると思います。

発売は9/23でもうしばしお待ちを。
さて今からもう一軒校正に行かなきゃ。ついでにビリヤニ食べちゃおうっと。

ほなまた。


なぜこの本を書いたのか!?僕の思い

新刊『おいしい&ヘルシー!はじめてのスパイスブック』とはどういうものか?

薬効読本6割のレシピ4割という具合でしょうか。

最近、書店などを見て回っていると、ほとんどは「アジア料理」「インド料理」「カレー」の棚に置いてありますが、ちょいと違います!

前著『絶対おいしいスパイスレシピ』がそのイメージに近かったですが、今回は一言で言うと健康本です。

キーワードとしては以下の感じでしょうか。
 「食生活」 「アーユルヴェーダ」 「伝統医療」 「食と健康」 「健康レシピ」 「生薬」 など。

もし、書店様等で、新しくカテゴリーを作っていただけるなら「スパイス生活」「ヘルシースパイス」「健康スパイス」なんかがありがたいです。

スパイスという文字が前に来ると、どうしてもカレーやインド料理に思われがちですが、それは10%程度です。

インドやカレーの枠に縛られないがために「スパイスブック」という題にしました。どうぞ、そちらに引っ張られないようにお引き立て頂ければ幸いです(◎´∀`)ノ

よろしくお願いします!

さて、今回はこの新刊を3年半もかけて書くに至った理由を述べたいと思います。

6月にも一度、似たような話をさらりとしています。が、今回はもっと食い込んだ話を。とはいえ、朝から4,5時間もかけて、何度もペンを走らせているのですが、どうしても長くなってしまうので省略していくと、やっぱり本書の「まえがき」に行きつくのです。

我ながら、Oh!やっぱり研ぎ澄まして書いただけのことはあるな~(*゚▽゚)ノなんてね。

あえて本書「はじめに」に書かなかった、より深いバックボーンがあるとするならば、それは僕が中学2年の時すでに「食と健康」というテーマをもっていたということです。

14歳の時に親父が急逝したことが、あらゆる意味で人生のすべてを変えました。親父が44歳という若さで死んだのは「仕事のストレスと偏った食事にあった」と、周囲の大人たちはそう言い続けました。

以来、「食と健康」というキーワードが僕の骨の中にまで染み込んでいったのです。

その後20歳を越した頃に2歳年下の従妹が腎臓病を患い、おばさんから腎臓を移植。僕がやる店にも医療関係者や持病を抱えている方がすごく多く、いつしかスパイスによる健康サポート術は僕にとってミッションとなっていきました。

そういう意味で、僕にとって「食と健康」というテーマは人生そのものです。

ということで、ここであらためて「はじめに」をどうぞ。すでに拙著をお持ちの方はヘラヘラと、読んでいない方はグイグイとご一読ください。
 
Simg_1043 気温43℃の中、ココナッツジュースで涼をとるインド人たち(ジョドプールにて)

「Good for health!(グッド・フォー・ヘルス)」

 この言葉をどれだけインドや周辺諸国の人々から耳にしてきたことかわからない。彼らにとってスパイスとは健康に役立つものであることは、あまりにも常識的なことなのだ。

 僕はこの20余年でインドや周辺諸国の人々と食を介してのご縁に恵まれた。その中でも印象的だったのが、彼らが当たり前にその日の気候や自分の体調に応じてスパイスを使い分けることである。大げさな話ではなく、例えばスパイスをそのまま口に含んだり、チャイに入れたりという簡単なことだ。梅雨で蒸し暑い時はグリーンカルダモンを頬張り、胃の調子がいまひとつのときはクミンをお湯で飲み、お腹を壊したら胡椒やクローブを茶葉と共に煮る。もちろん、料理もある。誰かが風邪を引いたら、いつもより唐辛子やシナモンを多く入れ、便秘になればアジョワンやゴマを入れる。これらすべてが「グッド・フォー・ヘルス」なのだ。

 本書は、そんな彼らの日常の中にある「グッド・フォー・ヘルス」をテーマにスパイスの解説やレシピを提案しようというものである。

 僕がスパイスの魅力に目覚めたのは、20歳の頃だった。さらにスパイスによる身体への影響を明確に体感しだしたのは1998年にインド料理食堂「THALI」を開店してからだ。
5坪の小さな屋台のような店で、毎朝8時から深夜2時まで働き尽くめ。そんな生活の中で、僕は咳が止まらなくなったり、急に寒気がしたり、お腹を壊したりするようになっていた。

 そんなときに我が身を助けてくれたのがスパイスだった。僕はインドやパキスタン、スリランカ、ネパール出身の友人が多く、彼らが当たり前のようにスパイスを使った健康法を行っていた。こう言っちゃなんだが、彼らが言うことの9割はアヤシイ。しかし、体調不良が続くなかで、どれだけ怪しかろうが彼らの話を信じてみようとつい魔が差してしまったのだ。彼らの付き合いのよさも功を奏した。普段は胡散臭いくせに、深夜に困って電話をするとあっさりと出てくれる。

 また、毎日のまかないにも助けられた。ほぼ毎食、豆と野菜と漬物とヨーグルトである。これはインドやネパールの友人のまかないやプライベートの食事とほぼ同じだ。最終的にすべて混ぜて食べるのだが、この素朴でありながら刺激的なメニューは飽きがこない。スパイス料理は辛い物ばかりではない。実は身体にやさしく、お腹いっぱい食べても胃腸に堪えないのである。むしろ、ますます食欲がわいてくるほど。お通じもよくなり、体調もすっかり回復した。僕はいつのまにかスパイスによって体質がかわってしまったのだと確信した。

 それから数年後、店を閉めて大阪に戻り、ライターとして活動を始めた僕は、多忙に身をまかせ自炊もままならず、再び体調不良になる日が増えていった。

 そんな矢先である。カミさんが大病を患ったのは。ガンだった。知り合いのアーユルヴェーダや漢方の専門家にも相談した。しかし「ガンだけは治せない。あくまで予防にとどまる」という答えだった。カミさんは長期の入院生活に入り、僕は仕事をすべて止めて共に戦う暮らしとなった。

 結果的に、そのことが人生のリスタートになった。徹底的に食生活を改めることを決めたのだ。幸いにもカミさんの手術や抗がん剤治療もうまくいき、10ヶ月ほどで退院。今では再発もなくすっかり元気になった。

 カミさんの病気をきっかけに、スパイスとは、治療薬や特効薬のように一度の食事で効果を求めるのではなく、塩や醤油のように毎日の料理に調味料として使うことでこそ効果が表れるものだと再認識すると同時に、そのことを人々に伝えたいと思うようになった。

 スパイスは紀元前から人類の必需品としてあり続けてきた。つまりヒトにとって最も身近で簡単な自然由来の生薬であり調味料ということを歴史が証明している。

 今回は僕の手法のみならず、縁のある各国各人のスパイスの使い方も含め、とにかく簡単でおいしくて、身体に効くレシピを、ところによってはスパイスにまつわるお役立ちエピソードも交えつつ提案させていただこうと思う。

 
以上です。

ついこの間、何を間違えてか、ターメリックが、カレーが認知症を治す!なんて巨大なデタラメが、またもやネット暴走族により広がっていると聞きました。が、そんなわけないだろ!だったらノーベル平和賞ものですよ。

僕がスパジャー本誌やSNSでお伝えしてきたのは、あくまで「ターメリックが認知症予防に効果がある可能性を秘めている」という話です。

まぁ万が一と思って、僕はしばしばスパイスを認知症の母親のために使っているのは事実ですが。

日本人はどうしても過大評価と過小評価を繰り返してしまいます。ショウガが身体にいいと聞いたらそればかり、みたいな。違いますよ、ご注意ください。何事もバランスですから。

本書にはモノによって上限量も記載しています。それはあくまで薬剤師から聞いた量です。スパイスはもっともっと広い世界ですから、もしかしたら記載していないモノの中にも上限の必要のあるものがあるかもしれません。

過信せず、勝手な判断をせず、事実を一つの要素として受容しながら、自分の暮らしの中に上手に取り込んでいってください。

スパイス命じゃない。主役ではないです。
By Spice であり、With Spice ということを、ずっと昔から僕は言い続けてきました。それがわかってくると、これほどに有難い&楽しい第二の調味料はないと思うのです。
 

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