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同年代はどこへ行った⁉︎

今朝もいつものように我が家の黒柴クロの散歩に。そしてヨーガでスーハーしてたら、最近はジョギングやら体操やらする人が増えていることに気づきまして。

越してきた2004年ごろは電車も道も公園もガラガラ。それがこの10年で団地の建て替えと切り売りでマンションバブルの人口急増。今なお半径1キロ圏内で常に4、5つのマンションが建設され続けています。

おかげで電車は始発駅なのに立っている乗客がどんどん増えて、最近はコロナ禍になってから公園がガキ天国に。

で、ここ数ヶ月は平日の朝でもジョギングする人が増えてますね、間違いない。

いや、元々このあたりはジョガーは大勢いるんです。でも最新型はキラキラ光るシルバーのジャージとか、ダボダボの上下お揃いのしまむら的なスポーツウェア姿のおっさんが急増中。普段から走り慣れてる人じゃない。そういうのって、走り方とか身体付きですぐわかりますからね。

あきらかに、慣れてないおっさんです。

よく見るとおそらく僕と同年代くらいかと。どう見ても走ることもその格好もにわか感があふれています。

そしてだいたいこの感じの人たちは、わざとに歩道の真ん中を勇み足で歩く?走る人が多いのでけっこうウザイ。今時の、威圧感のある車でオラオラ運転する感じとそっくりな。

こいつら、今までどこにいたんでしょうか。

公園で出会うのは女性だけ、と信じていたのに。ガキはまー許す。ご年配の方はもちろんオールOK でもおっさんだけはいただけない。

コロナ禍による影響であることは間違い無いと思います。でも、その心理が僕にはよくわからない。突然、健康意識が芽生えたのかな。それとも出勤時間が変わった?リモートが増えたとか?ストレスが溜まってる?てか、何のストレスだ!?

あれ、待てよ。よく考えたら僕の周囲にこの手のおっさんが1人もいないのはなぜだろう?いたよね、同年代の同業者。やつらはみんなどこへ行ったの⁇

フリーランス、編集者、フォトグラファー、企画屋さんなどなど。おいおい!みんなどこ⁉︎

僕は何も考えず、ひたすら働き続けて気がつけば時間が経っているようです。気づかなかったなーみんなどこへ。

そうか、もしかしたら最近急増中のおっさんジョガーみたいなもんで、普通の人には手の届かない偉い層に生息してるんじゃないのか。そうだ。きっとみんな偉くなったんだ。

偉い層ってどんな?高級車に乗ってる?取材の現場にいないということは…会社?いや同年代のネクタイ族はあまり見かけないなー。

それじゃ別の仕事に転職?ならどこ?不動産屋?外食産業?制作会社?いやそんな人いたっけ。

というか偉いってなんだ??

あーますますわからない。

僕はただひたすら生きてきました。そしてふと周囲を見渡せば、年上はおろか同年代すらいません。みんな僕より年下ですね。今気が付きましたよ。

年齢のことを考えたことがなかったです。いや、考えることができないのです。僕のプログラムにないみたい。

たぶん僕はこれからもただ突き進むだけだと思います。公園をどかどかと走るおっさんを避けながら。

コロナ禍と言うのに動きまくりで汗

いま東京からの帰りの新幹線の中です。茶畑と田園が広がる静岡県を走行中。

昨日は昼12時半から夜9時半まで11素材11種のカレーを作ってきました。撮影のためです。

推定10坪ないくらいのスタジオ内でフォトグラファーやら編集者やら総勢5名での撮影でした。これでも一応、密にならないようにと人数を制限してのこと。でも、料理撮影なのでどうしても人と人の距離が近くなるし、あれこれと話し合いつつ、毎度試食するので(もちろんみんなできるだけ離れて食事)、否が応でも濃厚接触状態に。

一刻も時間を無駄にできない。少しでも完成度の高い調理をこなさなければならない。でありながらターゲットは家庭料理なので一般家庭ができないような技術や素材は使わない。とはいえ2、3種類はマニアックなスパイスを使っても良い。デザイン的ミスは許されない。掃除後片付けは9時15分?までに終えなければならない。などとこんな条件下です。これはフォトグラファーも同じこと。料理をどうおいしそうに、見る人を飽きさせず、気持ちよくみることができるか。様々な技術を駆使してくれます。

このように、張り詰めた空気のまま全員で走り続けて定刻までに走り切らなきゃいけない、というのが我々の仕事です。

こうして仕事を依頼してくれるのはとてもありがたいことだし光栄なことだと思っています。もう本当に何人もの編集者たちのおかげです。編集者たちが今の僕を作り上げたと言っても過言じゃない。なんだかわからないまま、ただ必死に今日まで走り続けてきましたし、今もその最中。

今から大阪の蕎麦屋さんへ、とある出版社の書籍企画の打ち合わせに行かなきゃです。その後は同書籍の別コーナーの打ち合わせ。明日は同書籍の取材。その後日にいくつかの取材があって、週明けは香川に飛ばなきゃです。さらにその後は原稿原稿(笑)

コロナ禍になる前もなった今も、なーんも変わってない自分が、ほんまにこれで大丈夫かと不安になるくらい。もちろん延期や逆にオセオセや、パソコン業務が集中するなど、いろんな非日常的なバランスはありますが、大枠は変わってない。元々低空飛行の細々労働者だからなんでしょうか。

フリーランスは仕事の受託量などのコントロールはできても、一度引き受けた仕事の進行は完全にクライアントさん次第。雇われ兵隊みたいなもんです。

そういう意味で僕らにとってコロナ禍での仕事は、良いとか悪いとか言ってる場合じゃないわけですね。ただ、俺って大丈夫かなとちょと心配に。

コロナ緊急事態宣言風おまえが決めろ宣言

昨日、大阪にも新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言が出ましたね。

とはいえ、飲食店の夜8時以降の営業時間短縮要請、外出自粛の要請、テレワークの推進などと、はっきりしているようで現実的にはなんにもはっきりしてないしリアリティに欠けるな~というのが率直な感想です。

政治家や官僚のみなさんも大変な時だと思いますけど、このローリスクおぼろげ宣言はちょっとどうかと思ってしまいます。人それぞれ多様だからこそ、決定的強制的な宣言をだすべき、と思うのは僕だけかな。

例えば僕の場合、昨年末から延期となっていた信州出張が来週18日から決行されることになりました。そして、今月28日は東京でカレー何品?5品じゃなくて10品くらい?の撮影調理も。撮影ですからおのずと密になります。味見もします。

後者については、編集者がどうするか意見、判断を聞いてくれていますが、どう判断していいのかみんなと同じように僕にもわからない。

はっきりと、県府境をまたいでの移動を禁じられているわけではなく、あくまで外出自粛の域ですから。しかも夜8時以降、と思いきや、ランチもいいってわけじゃない的な、結局「宣言」とは大げさな響きなだけで、現実はやはり「おまえが決めろ宣言」。

飲食店への対応も奇妙です。大小さまざまな経営・損益規模であるのに、一律に例えば1か月最大150万円の支給と言ってみたり。例えば大阪市内で個人のカレー屋さんなら、いったいどれだけの売上・損益だと思っているのか、と思ってしまいます。

はっきり言ってこのサポートで儲かる人も続出ですよ。もちろん足らない店もそれなりに。と思いきや企業が経営する大きな飲食業には補償がないそうな。ちょっとそれは・・・

例えば昨年までの申告や決算の状況に応じて、何パーセントかを補助するとか、納税額に応じて価格帯を決めるとか、いくらでも方法はあるように思うんですが、それは難しいのかな。そこまで手間暇をかけられない?いや、できると思うな~。

僕らのようなフリーランスの著述業、料理研究業はこういう時はまずもって蚊帳の外になりがちです。昨年のコロナ緊急事態宣言時は補助をいただきとても助かりました。でも今回のような場合、出張が中止になるとそのまんま売り上げは減り、収入はゼロになりますし、かといって無理して出かけて感染してしまったら元も子もないわけで。

さて、どうするべきか。結局は「おまえが決めろ宣言」。コロナの感染経路やそのリスクがまだよくわかっていない状況で、GOかSTOPを我々一般人に決めることは不可能です。

いったいどうすりゃいいのだ!?困ったな~。月末の東京での撮影については今日中に返事をしなきゃ。今日もあれこれと忙しいので結局はなにもわからないまま上京しますってことになりそう(;´∀`)

大阪都構想について思うこと

昨日、2回目となる大阪都構想の住民投票が行われ、前回に続き反対多数で、大阪は市のまま継続されることが決まりました。僕の周りの大阪市民大阪府民のみんなが今回の投票について前回以上に高い意識で注目していたように感じます。

現在、吹田市民である僕から見ると、今回の都構想についてまず言えることは、ちょっと大阪(市)よがりだったんじゃないかなということです。

昔から大阪市は、関西の中心、西日本随一の大都市、というイメージが強く、なんでもかんでも大阪市がリードしてきた、という誇りだけが根強く残っていると思うのです。

確かに大阪全体で見ても、長い間、東京に負けるな、追い越せ、やってまえ!的なモチベーションでみんなが頑張ってきたように思います。僕が1991年に上京した際も、新大阪駅で胴上げされて見送られましたが、当時は東京と大阪は今では比較にならないほどの距離感のある別世界の都市で、その東京に負けるな精神もあって、戦ってこい、負けるな、勝利を得て帰ってこい、という潜在意識みたいなものが胴上げという見送り方につながっていたのだと思います。

ま、僕は個人的な事情で2年後に大阪に戻り、飲食店を開業するわけですが、その後ライターとなり毎週のように上京するような生活になっても、多くの大阪の友人から「東京はどうだ?やっぱり大阪は負けてるか?」などといった質問が多く飛んできたものです。

中には、本当は自分がそのような東京コンプレックスをもっていながら、それを隠すために、僕に「いつまでも東京コンプレックスでいたらあかんよ」とえらそうに上から物を言う知人もいたほど、大阪、いや関西全体がねじれ曲がっていました。

少なくとも、同世代の人間の中に、そのようなねじれを起こしている者が多くいるように感じます。

はっきり言えることは、僕は子供の頃から東京コンプレックスのない大阪人でした。こういう大阪人もかなり多くいると思います。両親が静岡県出身ということが大きいと思います。大阪、大阪、と思っている人たちのことをずっと遠くから眺めていた、いわば大阪では蚊帳の外グループです。

なぜそんなに大阪の人は東京を敵にしたがるのか?歴史や経済やいろんな話を聞かされて育ちました。そして確かに特に大正時代から昭和中期くらいまでの間は、東京と匹敵するほどの経済力を育ててきたようです。ただし、それは昭和の高度経済成長期までの話であって、平成以降は別のステージに入っていると思っていました。

よく東京人が勘違いするのです。その基礎にあるのが、大阪は西日本の都という感覚。街を指して東京でいえばどこ?的な質問はまだあるとしても、実際に大阪は西日本の都としての存在感はすでにないように思うのです。むしろ、周辺都市の人たちはもっと冷静で、2000年以降はちょっとうるさい、面倒くさい、などとどちらかというとややネガティブに見ている気さえすることも。

それでも大阪が干されないのは、やっぱり大阪は「人」で持っていると思います。市民府民、大阪の人は本当にいい人が多いのです。街にそれほど力がなくても、借金だらけでも、東京と対向していたのは過去でも、そんなことはまったく関係なく、おおらかで人間臭い人が他の町に比べて圧倒的に多い。

僕は出張が多いほうだと思いますが、他の町から帰ってくるといつもほっとします。それは単に郷里だからではなく、やはり大阪人は圧倒的におおらかで優しい。こまかいことはまぁええやんか。うまいもんでも食べて楽しもう!というなんくるないさ精神がめちゃめちゃ豊か。

この大阪式まぁええやんか精神に今までどれだけ助けられたかわかりません。

そんなフリーダムな大阪人に、今回は非常に神経質で難しい問題を突き付けられたという感じがします。そういった意味では、大阪人もいつまでもゆるゆるではあかん、ちゃんと冷静に勉強して考えていかなあかん、ということを学べたと思います。

昭和の高度経済成長期のピークが1980年代としたら、今回の大阪都構想投票までの約40年をかけて、大阪はすでに東京とは比較にならない規模の都市である、でも他の地方都市とは性質が違う、かといって何でもありではもう通用しない、大阪よがりはやめて冷静に事実をいろいろ知ったうえで一人一人が正しい判断のできる体質にならなければ、とそんな新たなステージに入っているということを受け入れることができたのではないでしょうか。

確かに1990年代後半くらいは、大阪の二重行政がすべてのネックになっている、という意見はあらゆるところで諸先輩から聞かされてきました。これは殆どの大阪人が耳にしてきた大阪人の口癖だと思います。

この言葉の裏には他府県の人にはわかりづらい感覚があるのも事実です。なぜなら大阪と東京が決定的に違うのが、人口分布。東京は都区に全人口の7割が住みますが、大阪はその逆で7割が市外に住んでいます。昔は大阪市がすべての中心でした。でも今は、市内で事業を起こしている人や偉いさん、勤めている人の多くが市外に住んでいるという事実。と同時に府外在住者もかなり多いのが関西の特徴です。

大阪発祥の大企業はあれほど多くあるのに、なぜその殆どは東京に行ってしまったのか?住所やビルは大阪に置いたままというのも多いのです。なので多くの大阪人は、あの企業もこの企業もまだ大阪に本社を置いている、と信じています。が、実態は違う。住所とビルはあっても実際にはそれはテナントと化していたり、実働部隊は殆どが東京に移転していたりします。

東京一極集中の理由は一筋縄ではないと思います。現に僕がお世話になる東京のあるデザイン会社が、何とかして大阪支社を作ろうと試みていたことがあったのですが、あれこれと調べているうちに、大阪は実に難しい状況であることが分かり断念したことがあります。難しい、というのは、東京から見てその環境が脆弱すぎる、という意味です。

早い話が儲からない。やっていけそうにない、ということです。

僕の周囲の上京していった個人、企業にかかわらず、その多くの人間が、「今まで大阪で頑張っていたのは何だったんだろう。東京がこれほどに金や人が無尽蔵にあって楽だったとは」と口にする者も相当数います。そしてそのことは僕も理解できます。

と、このように大阪は、少なくとも僕が知る、この30~40年はとても難しい時期に来ていると思うのですが、僕自身は実は楽観してます。こういうと、今までなら叱られそうだったので言いにくいことでしたが、殆ど無関係というか影響がないというか。ま、それだけ自分が小さな存在だからだと思いますが。

大阪にいる理由は、まずカミさんが東京の生まれ育ちで、東京以外を知らず、大阪という町が外国みたいで面白いからこっちに住みたい、というのが大きいです。その次に、これは結果論ですが、おふくろが兵庫県に住んでいたことも今思うとあります。現在はすでに施設暮らしですが、一年間おふくろと共に暮らすことができたことはとても幸せでした。そしてもう一つ、やっぱり僕は大阪が大好き。そりゃ住めば都と言いますから、今まで住んだ東京や三重も大好きです。ただし、昔の大阪人みたいな、頑ななまでの大阪至上主義とは別物です。

話を戻して大阪都構想について。先述のように、特に大阪市民たちは長い間、実に複雑な心境だったと思います。東京と張り合ってきた誇り、でもそれは昔の話、とはいえ普通の地方都市ではない、メディアが多く、鉄道は関西各所をはり巡り、歴史も深く、観光も多彩。かといってメディアはなんだか説得力に欠けるような気もする、鉄道なら東京ほど乗り入れは充実していないのに料金は高い、歴史は京都や奈良ほどパワフルじゃない、観光と言っても実際はインバウンドで凌いできた、という複雑さ。

でも、今回の都構想投票によって、大きな大きな心の整理につながったのではないかと、そういう意味ではとても大きな成果があったと思います。こんな大きなことは誰にもできなかったでしょう。政治家の方々も大変お疲れ様です。

これを機に、大阪は市府ともに絶対よくなると思います!

利害関係の一切ない親友

せがれの就職が決まりました。おめでとう!

社会人デビュー、じゃっかん遅れたけど、まぁそこはね。

どこで働くかについて、僕はまったく干渉しない。というか、早くに離婚しているので、干渉しようにも不可能でした。ま、もともとそんな柄じゃないけど。

それよりも、ただただ彼の幸せを祈り続けてききました。これは『THALI』開業以来一日も忘れたことはないです。大げさじゃなく。本当。それだけが僕に許された行為でした。

人は一人では生きていけない。でも、ひとりでパワフルに生きていくことで、人と共有できるものがある、と思います。

その最たるものが親友ではないでしょうか。

世の中には何かと人に誇示したり、自分の勢力を見せつけたり、縄張り意識とか、そういった政治的メリットを考えて生きている人は多くいます。また、そういう人が実際にリーダーシップをとっていることが多いのも事実。

中には、自分の友人やブレーンをわざわざ見せつけたがる人もかなりいますね。そういう人のなりふりを、パフォ-マンスと呼ぶのでしょう。

パフォーマンスにどうしても騙され、影響を受けてしまう人もかなり多くいます。

でも、結局は最終的に、自分自身の心が決めるもの。その核心が幸せを感じる部分だと思うのですよ。

どんなことがあっても生きていける、そのために必要なのは、空気と水と食べ物、そして親友だと思います。

どんな会社に入ろうが、どんな事業をしようが、そんなことは大した問題じゃない。幸せを感じる自分がちゃんと育っているかが問題。

昨今、若手のみならず、同世代の人たちを見ていても、それを強く感じることが多いです。なんでやろ。

だいたいそういう人には特徴があって、家がしっかりしている、親が成功者だったり偉いさんだったりする、ひとり暮らしをした経験がない、またはしてても薄い、常に人のことを羨ましく思っている、自分がない、そして親友がいない。

これは、わかる人から見ると、だいたい瞬時にわかるから不思議。あ、このタイプかと。

いくつになっても、気づけばそれがチャンス。親友とはどうすればできるのか、必死で悩む時が来ることは幸せの始まりと思います。

これからも息子の幸せを祈り続けますよ。これは理屈じゃないし、誰にも止められないことだから。

目の前のことに一喜一憂するのではなく、幸せになってほしい。それが本当の成功だと思います。

 

 

 

ぶつかってくるのは目が悪いから!?

最近やたらとぶつかってくるやつが増えてるな~と思うのは僕だけでしょうか。

逆に遅い?もっと昔から?

それにしても、わざわざ人通りの少ない夜九時頃とかでも、真っ暗な夜道を向こうから真っ暗な長袖ジャージ(真夏の夜なのに!)をきて、

ぼたぼたと走るやつが来たので、こちらがわざわざ左へ寄ってやってるのに、まさかのもっと左側のすみっこを突っ込んできたんです。

もちろん走って。こっちはゆっくり歩いているだけ。アホでしょ?こいつ。

僕は思わず「ちっ」と舌打ちしたものの呼び止めませんでした。時間はあるのに。この日はとても面白いことをいろいろ考えて歩いていたので、こんなクレイジーな子のために汚されたくなかったから。

実は最近、我が家のクロ(黒柴)が散歩に行きたがらなくなってしまいまして。これは明らかに外恐怖症です。ここ数か月、やたらと自転車でぶっこんでくるガキとか、車でギリギリをアクセルを開けながら走るバカとか、歩いているやつは先述の通りやたらとぶつかってくるやつが増えているなーって。

こないだはもうばんばんと自転車や車がほとんど信号無視で行きかいまくっていて、どうやってこの交差点を渡ろうかとあたふたしながらちょっとずつ前進してたら、うちのクロがいきなりひきつけ起こして倒れちゃいました。テンカンです。

極度の緊張に襲われたとき、年に2,3回出るんです。

自転車で突っ込まれるのは一度や二度じゃないし、誰も謝らない。

先日の雨の日なんかは悲しくなりました。朝ですよ。クロを連れていつもの交差点を渡って公園へ行こうとしたら、いきなり前方から前も見ずに傘を盾にして、ものすごい勢いで坂の上から歩いてきたおっちゃんがいまして。

僕とクロは朝早い時間は出勤の人たちの邪魔をしないようにと、道の端っこを歩いているんです。

するとこのおっちゃんは、さらにもっと端っこを猪突猛進してきまして、こちら側に大きくせり出した主そうなカバンが僕の肩にどっかーん。僕はあまりこうなっても身体が動くことはないのですが、この時ばかりはあいててて。

で、つい本能的に「おいっ」と言っちゃったら、これに反応してくるっと引き返してきて、志村けんのアイーンみたいな顔をして、「なんじゃぁい!お前がよけろや。お前が頭おかしいんじゃ。何を偉そうに歩いとるんじゃ。お前が頭がおかしいんじゃ!」とまさかの罵倒。

見た感じ僕と同年代の人ですよ。スラックスに白シャツで、頭髪はきっちりと短めで、眼鏡をかけている。

僕は喧嘩するつもりはないですからこういい返しました。

「いやいや、そんな歩き方してぶつかってこなくていいじゃないですか。それに何ですか、そのもののいい方は。ひどいもんですよ。いったいどこにお住まいの方ですか?」と言ったら、またアイーンって顔になって、くるっと向こうへまわって歩いていきました。

この坂道ってあまり降りてくる人はいないところなんです。ちょうどバス停前なので、バスに乗るか、僕の住むマンション側へ抜ける人か。でもそんな人はほとんどいない。こちら側はマンションばかりだから。

見知らぬ人から、いきなりぶつかられて、「お前がどけや」「お前の頭がおかしいんじゃ」なんて、想像だにつかない言葉で殴られたのは大変ショックでした。

いや、喧嘩しようと思えばできるんですよ。もともとの体質上。でも50歳過ぎて、朝の七時に、けっこう多くの人が行きかっているところで、そういうわけにもいかないでしょ。時間もないし、そもそもしょうもなさすぎて。

うちのクロをけるような恰好してましたが、本当に蹴ったなら僕も蹴っちゃうかも。でも、こういう時は速やかに警察を呼ぶほかないんですよね。警察は現行犯でしか取り締まれないから、その場で呼ぶしかない。

正確には、れっきとした違反だと思います。

でも、とにかくショックですよ。ここまでひどいのはほかにないけど、こんな感じでみんななぜか怒ってる。昔もそういう人いたけど、最近は何でもない普通の人がおかしくなってきた感じ。

あ、そしてこういう喧嘩を打ってくるやつとか、自転車や車でぶっこんでくるやつは今のところみんな眼鏡かけてるんです。こういうと他の眼鏡な人たちからまたやいやい言われそうですけど、ほんまやから仕方ない。

僕に「お前の頭がおかしいねん!」と罵倒してきたおっちゃんなんか、牛乳瓶の底みたいなドのきつさで、こりゃ漫画やなと笑いそうになりました。

まー、ゆっくりと落ち着いて道も歩けやしない。

こういうことが増えてきて、うちのクロは夜の散歩はもう行かなくなり、朝のみ。しかも、僕がいろいろ工夫して、人の少ないほう、車が入って来いれない細い路地、自転車がノーブレーキで突っ込んできそうにない気配の場所を、模索しまくってます。

最近、このあたりは昼間でも大渋滞で、簡単には大通りへ出られなくなりました。バイクでも信号二回ほどは引っかかってしまうように。越してきたころは、公園も道もほとんど人がいなくて、寂れまくっていたので、こりゃちょうどええやと思って犬散歩しまくりましたが。

そうそう、公園も今は毎朝誰かが遊んでいます。いや普通に遊ぶのならいいんですよ。そうじゃなくて、ノックやったり、野球やったり、テニスやったり、ラジコンやったり。看板出てるんですよ。球技や何やらは禁止って。これもまた若造じゃなくて、なぜかおっちゃんが含まれている。40代~50代ってところかな。で、よくよく顔を見たらへぼいんです。

いくらで買い黒い車を駐車してても、いくらコクイ散髪して眉毛剃ってもね、お前ら全員遅咲きやろ、と思えて仕方がない。

昔きっと目立てなかったようなやつでしょうね。下手したらいじめられっ子かも。だとしたらちょっとかわいそうやけどね。

さて、明日も安全な道を探します。

昨日は久しぶりの松阪の友人とインド料理店へ

どれだけ振りか、久しぶり過ぎて忘れました。

その友人は松阪で服屋さんとカフェをやっていて、こんなご時世でも忙しくやってるようです。さすがやなぁ。

個人経営の店がばっさばっさと潰れていく昨今。個人の主張が強いと言われる大阪の市内でも、個人経営の店は減っているように感じます。

僕が住んでいる北摂でも同じく。

そんな中で、希少な個人経営の店があり、なんとここには駐車場もあるからうれしい。

店は『PUJA』吹田店です。

夜行ったのですが、二人とも酒を扱う店をやっていた(彼は現役)にもかかわらず、酒なし。車ですから。

で、とにかく食う。

サモサ、チョウメンというネパールや北インドにある中華やきそば、店からのギフトで豚肉と筍のチーズグリル、マライティッカ(白いタンドリーチキン。ヨーグルトや牛乳の脂肪でマリネしている)、キーママサラ、ナン一枚。

こちらはナンがおいしいと人気の店。うるさい人たちがナンは本場じゃない、みたいなこと言ってますけどそんなことはないですよ。ナン好きの人ご安心ください。ただ、ナンを食べたことがないインド人ネパール人は、けっこう多いのは事実ですが。でもみんな憧れてる、または好き、または好きだけどお腹いっぱいになるので食べようがない、というだけ。

やっぱりいいですね。友人というのは。

コロナや家族のことや、今時50代の話で盛り上がりました。

今や何でもSNSや雑誌や本やに出てないとあかんみたいな雰囲気らしいです。まったく関係ないのにね。

友人は一所懸命にコロナによって今後も激変していく、と語っていましたが、僕はコロナの前も最中も今も生活様式がまったくと言っていいくらい変わってないです。いいのか悪いのか。ちょっと不安になるくらい。

でもそんな不安も料理がおいしいと全部瞬時に吹き飛びます。

店の人たちとも話しまくってさらに吹き飛ぶ。

あ~楽しかった。

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ぼちぼちとロケが増えてきてますね~

コロナ禍による緊急事態が解除されて、大阪では6月1日からぼちぼちとみんな動き出していますね。

僕の周辺も同様です。皆さんのところはどうでしょうか。

僕はほぼ連日、京阪神を行ったり来たり。他府県への越境はまだ、とはいうものの、京阪神地区で通勤通学レベルで京阪神を行き来している人はおそらく数百万人はいると思います。

そうでなくとも昼間人口比率が東京とさほど変わらないか、下手するとそれ以上もある街なのだから。特に大阪は大阪市内在住人口率はかなり低く、全人口の3割程度しか住んでいません。7割は市外に住んでいるという事実。東京は逆に7割が23区内に住んでいるから、この感覚は東京の人間にはちょっとわかりづらいと思います。

昨日は土曜日でしたけど、大阪~阪急梅田の間はもう完全に平常状態と言っていいでしょう。僕は昼過ぎと夕方5時半頃歩いていましたが、逆にコロナ禍緊急事態がもう信じられないくらい、人々は溢れ、声も大きいし、ソーシャルディスタンスなんてほぼないに等しい。

これで大阪から新しくコロナ感染者が出てきていない、というのは絶対あり得ないでしょうし、それだけちゃんと検査できていない、ということの証拠だと思います。

でも、たぶん、良くも悪くもこのままいくでんしょうね、この街は。昔から東京のように政治や中央活動とはかなり距離があるから。

吉村市長に信頼感があるのは、御上から見ろしていないからだと思います。彼もまた市民、府民のひとりで、誰よりもプレッシャーと責任を背負ってやってくれている、と多くの人がそう感じています。大阪は本当いい意味でも悪い意味でも、オール庶民主義なんですよ。だから危機感はないわけじゃないけど頭で動かない。あの人も頑張ってるのだから自分も頑張ろう、という感覚かと。

さて、僕は明日は神戸へ行きます。三宮まで。先日はロケハンに行き、先方さんと二時間たっぷりとお話しして、明日はカメラマン、先方お二人とどっぷりと濃厚接触です。

おまけに家のカミさんは看護師にカムバックしています。めちゃんこリスキーですね。おふくろを特養に預かってもらっての生活です。もし僕らが感染してしまうと当然おふくろも帰ってこれなくなります。

いろんな人のおかげで、ぎりぎりのところでなんとかやれてます。感謝してます、ありがとうございます。

 

カワムラケンジオリジナルの6つの屋号とSNSはこちらです!(盗作、剽窃、模倣にご注意を)

前回も少し書きましたが、あまりにも悪質なので、ここで一度明らかにしておきたいと思います。

僕カワムラケンジが狙われるようにして、盗作、剽窃され続けていることをご存じでしょうか?

そのまま模倣せずとも、実に紛らわしい表現を使うものもあります。

こんなことは自分のブログで書きたくもない、とずっと思ってきましたが、せっかくのコロナ禍騒動での家自粛期間で時間はあるし、先日も間違って買い物した方、また、お店へ行ってきました!(今の僕はお店をやっていません)と声をかけてこられた方、がいたので明らかにしておこうと思った次第です。

いくつもありますが、ここに代表的なものを列記しておきたいと思います。みなさま、騙されないように、いま一度ご注意お願いします。

 

カワムラケンジのオリジナル 6つの代表的なリスト

(1)『スパイス10割石臼自家製粉カレー P AGE HILL』・・・1997年、大阪・箕面の古巣「P AGE BAR」を間借り開業。1998年2月頃に終了。

(2)『THALI』(ターリー)・・・1998年夏、三重・松阪で独立開業。店名はインドの定食を指す。それまでインド料理と言えばカレーライスばかりだったことに対して、新たな提案をしたいという思いでこの屋号とした。2001年1月にクローズ。その後、大阪へ戻る。

(3)『スパイス料理研究所 club THALI』・・・2007年、大阪・箕面に開設。書斎とキッチンを併設したことでこの名前を思いつく。当時は料理研究業と、撮影用の調理をする仕事と、著述業をしていた(今も同じか!)。近隣住人の要望により、毎週日用のみ食堂として開放。飲食店営業と著述業のけじめをつけるために、あくまで著述業がメインであることから、屋号を『club THALI』とした。「club」は店以外での活動を意味して。2008年初夏にクローズ。

(4)『club THALI online』・・・2008年、上記『スパイス料理研究所club THALI』の日曜限定食堂に来店されるお客様のご要望により開設したオンラインショップ。スパイスキットやガラムマサラ、チャートマサラ、チャイセットなどは、1998年『THALI』のお客様たちにより育てられた商品で、オンラインショップは今なこれらを中心に販売中。

(5)『Spice Journal』・・・2010年3月創刊。当初は季刊、3年目より年3回刊、スパイス付録付き、定期購読システム、A4判型、中綴じ後に無線綴じ。スパイスのみをテーマとし、旅、レシピ、薬学、栄養、ヨーガ、漫画、イラスト、人、メニュー、農、スパイスそのもの、など多岐に渡り、スパイスカルチャーを印刷物で表現。また、すべてを英語バイリンガルとした。手売りで定期購読を募ることから始め、半年後にラジオで取り上げられたことから一気に名が知れ渡り、何軒かの書店でも扱ってくれることに。テーマをスパイスに絞り込んだこと、英語バイリンガルにしたこと、毎号内容の違うスパイス(ブレンドやオーダーメイド)を付録としたこと、などなど各方面から、日本初、世界初と称賛を受けました。

(6)『カワムラケンジ』・・・(笑)2018年夏に幻冬舎より「おいしい&ヘルシー!はじめてのスパイスブック」という本の刊行に合わせて、販促活動の一つとしてSNSを使う頻度が増えたのですが、それとまったく同時期に、ある特定の「カワムラケンジ」同姓同名のアカウントが一気に露出しだしました。もちろん日本に同姓同名はいくらでもいると思いますが、カタカタ表記で、しかも僕の関連するところにへばりついて現れる。これは出版社も確認していて、あるSNS企業に相談したのですが、アカウント凍結は不可能と想像通りの傍観状態で、結局放置以外に手はありませんでした。そしてもっと気持ち悪いのが、販促活動が落ち着き、SNSなどで拙著の話題が出る頻度が減った1年後くらいに、その怪しいアカウントの更新もぴたっと止まったことです。そりゃ、いくらでも逃れようはあります。でも、密着されていたことは明らかです。僕の本業は、スパイス料理研究家、物書きです。

 

僕カワムラケンジはこんな顔!(笑)この顔がそのお店にありましたか!?

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僕カワムラケンジのモットー

A.あくまで経験してきたことの中で生まれたこと、気づいたことを題材にしています。

B.オリジナル志向。人のモノやアイデアをパクろうと思ったことがない。興味がないのではなく、体質的に物事を研究してしまうタイプなのでそうなります。でも結果的には既出の結論と同じ結論に至る可能性はありますし、その時にその事実を知りえない、ということはありえるでしょう。

C.バンドワゴンを作らない、乗らない。バンドワゴンとは昔からの広告手法で、かつては企業間でのやりあいでしたが、最近は情報過多時代だからか個人がそういうことを平気でやる時代になりました。要するに複数人が群れて騒ぐと、他の人もどんどん吸い寄せられていく現象のことです。集団化による孤独化・端数化の仕分けをさせる、とも言えます。心理学の乱用です。日本人は特に弱いといわれます。乗り遅れたら干されてしまう、独りぼっちなってしまう、仲間外れになってしまう、という恐怖感を煽った手法です。バンドワゴンの燃料は線引きが必ずあることです。狡猾な人は線引きする必要のないところに、こっそりと線引きを作るのが巧みです。線の向こうは悪みたいすることも上手です。どちらもでない、そこには本来線は存在しなかった、そんないい意味での緩さが大事だと僕は常々思っています。

ネット時代になって、言葉の盗用や乗っかりが急増しているそうですが、それと同時に証拠を揃えようがないやり方も増えているらしいです。

本当に悪質なやり方だと思います。

この10~20年で、捏造や盗作、のっかり、悪質な正当化などなど、質の悪い日本人も多くいるのだな、ということを思い知りました。無名有名にかかわらず、その似たものは本当に僕カワムラケンジが創り出したものか!?十分にお気を付けください。

僕一人が狙われているだけならまだしも、一番の問題は、お客さんが騙されてしまっていることです。多くの方から、これは本当ですか?このあいだお店に行きました!あの本素敵です!などと声が届くたびに胸が痛くなります。

それって偽物ですよ、と言うと、みなさん顔が硬直します。

なぜ、僕なんかの物真似をするのか、と思いますが、僕はそういうことに頓着がなく、その上貧乏暇なしできたから隙だらけなんでしょうね。

最初のころは、ここまで真似され続けるというのは、それほど自分がやってきたことが魅力的に見えるんだろう、などと周囲に話していたのですが、ここまでいろんな人から言われるということは、やはり手を打つしかない。

これ以上続くようなら法的措置に踏み切ろうと思っています。また、忘れた頃にこっそりとやられても即座に手を打つことにします。面倒だけど、騙されてしまうお客さんのためにやらざるを得ない。

ひとまずは、みなさま、それに飛びつく前にいま一度ご確認をお願いします。

捏造や盗作をする人というのは極めて巧妙です。だいたいそういう人というのは、かなり話や言葉使いが巧くて印象がいいもの。だからどんな難関も切り抜けていけるのが特徴です。僕くらいじゃないですか!?今なお貧乏暇なしは(笑)

現在の僕から言える見極めポイントは、先述の6つの項目です。特に年号など気を付けてみておいてください。

僕についてのニュースは、カワムラケンジのパーソナルサイトが確実です。そして、必ずこのブログやSNSでも書くようにします。メルマガはスパイが潜り込んでいることがわかっているので、残念ながら最近は更新しておりません。

このブログやSNSでも、逐一情報を抜かれ、後追いの素材にしてしまっていると思われますが、それでもお客さんのためにこのまま続けます。どのアカウントも大切な情報はできるだけ共有していますので、どれか一つだけでもけっこうですので、ブックマークなど登録をお願いします。SNSでも紛らわしいアカウントがあるようです。じゅうぶんにお気を付けください。(あ~大変な世の中!)

 

カワムラケンジのパーソナルサイト「Kawamura Kenji」

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1.カワムラケンジ プライベートのツイッター「カワムラケンジ(Spicejournal)」

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1993年、僕の店は燃えました。

 新型コロナ感染症による緊急事態宣言により、テイクアウトで応戦されている店、休業を余儀なくされている店の方々に読んでいただければ幸いです。

 みなさま、お疲れ様です。僕は16歳から29歳まで飲食の現場一筋で生きてまいりました。好き嫌いとかではなく、家庭の事情もあって高校を卒業するので精一杯の環境で育ちまして、飲食業以外の選択肢はなかった、というのが正しい理由です。

 ついては、ちっぽけな男ですが、それ相応に命がけでやってまいりました。そのうちのひとつのエピソードをここに書き記したいと思います。今となっては自分でも笑える話ばかり。ぜひB級ドラマを観る感覚でご覧いただければと思います。

 予期せぬことで生まれて初めて自分の店を開業したのが1991年10月10日のことでした。26歳の時です。場所は大阪北部郊外の箕面。外側は全面トタン張り、15坪ほど、創作料理と音楽も楽しめるやんちゃなキャッシュオンバー『P AGE BAR』と言います。最初はまったく客が来なかったんですが、開業して1年半がたった頃には、店は浮き沈みしながらもなんとか客数は増えていきました。立地は最悪と言われていましたが、それでも近くには女子大、スッチーやナースの独身寮なんかもあったようです。さらに、当時の箕面には、500円均一、かつ、アホな感じの飲み屋も皆無でした。店内の壁は赤や青のペンキで意味不明の柄を毎月塗り替え、カウンターの上はブラックライト、他は調光可能のスポットライト。僕はいつも黒ジャケ姿で、イベントのある日は、なぜだかノーパンで興奮気味でした。週末はDJのパーティ。店はおんぼろなので、音は2車線の道を隔てた向かいのマンションまで反響しまくり。

 ナンパ目的の変な客も増えていきます。筋肉自慢の土建屋の兄ちゃん、注射器を見せびらかすアル中の内科医など。女性も負けてません。パンツ丸見えの極ミニ自慢の女狩人、深夜に店先で待ち伏せする人妻など。今考えると漫画みたいなキャラばかりです。

 時に手に負えない事件も起こります。酒の飲み過ぎで血を吐いて痙攣する若い女とか、因縁のグループがぶつかって20人くらいの大乱闘になるとか、トイレで不明の注射針を発見したり、男に妊娠させられたと騒ぎだす女とか、もうメチャメチャです。そんなだから、ある時から警察が近所で張り込むことも多々ありました。

 当然、普通の客は足が遠のきます。でもいい筋のお客さんはごくわずか。それだけでは到底やっていけません。そんなわけで何かに憑かれたかのように、ひたすらアホなイベントをやり続けていたわけです。

 こんな毎日を送っているうちに僕は痩せていき、気がつけば酒に酔わない身体になっていました。気分が高揚しないため、客を楽しませることができない。そんな焦りが膨らむほど、様々な方法で手を尽くします。

 が、無理して高揚させた分、バランスを崩して今度は不眠性になってしまいました。間違いなく自律神経の失調です。共感してくださる水業界者の方も多いことでしょう。

 当時の僕は自分の癒し方を知りません。いくら女の人たちと関係を持っても、常に何かが満たされない。この屈折した状態はやがて自滅を迎えました。一人でいるときは、ただただ寝むたいか、しょんぼりと鬱になってしまうんです。

 そのうち、店に立っても体調も気分も乗らず、身体はなぜか冷え、時に震えが襲います。こうして何もかもが嫌になってネガティブの極致に陥っていくのです。度数のきついバーボンとビール、そして精神安定剤を一気飲みしても言うことのきかない身体になっていました。

 そんなある日、店が燃えてしまったのです。原因はタバコの失火でした。本当なら失火罪のはずですが、僕の酷い落ち込み様とそのいたしかたない状況から、関係者が寛大に処理してくれたのだと思っています。

 その日、僕は朝まで客と馬鹿騒ぎを繰り返し、いつものように記憶を消失。早朝の6時頃、布団で意識朦朧としていたところに一本の電話が鳴りました。
「もしもし、カワムラはん?落ち着いて聞いてよ、わし、箕面消防署のもんですけど、君の店が燃えたんよ。今すぐでてこれるかな?」
 僕はいたずら電話と思い「われ、しばくど。アホ、ボケ!」と言いたい放題。しかし、それは本物の消防士からの電話だったのです。

 フラフラのまま慌てて車で店に向かうと、そのマンション一帯は赤いサイレンが入り乱れ、アメリカ映画で見るような黄色くて太いテープがぐるりと張られていました。消防車は5,6台、いや7,8台は来ていたでしょうか。前の道路は前後100mほどを封鎖。パジャマにサンダル姿の人々が表から店を見上げています。焦げた匂いのする蒸気が店から溢れ、警察や消防士が右往左往していました。

 僕は車を歩道に置き、人ごみを掻き分けテープを破るようにしてマンションの二階へ上っていきました。そこに電話をかけてきた消防士が待っていて、いきなり僕の前に立ちはだかり、隣に回り込んで肩を抱きこみました。

「お、ようきてくれたな。いいか、中を見る前によく聞いてくれるか。わしらは火消しのプロやさかい、最も災難にならん方法で解決したからな。ドアだけは潰させてもらったけど安心し。大惨事にはならんかった、大丈夫やから。兄ちゃんは幸せもんやぞ」と力説するその笑顔が逆に恐怖を増長させました。きっとこれは、災難だったに違いない。

 で、その予感は当たっていました。恐る恐る店の中に足を踏み入れてみると、そこはまさに地獄の暗黒。天井からボタボタと滴り落ちる水の音が今でも記憶に残っています。そして、床上50センチくらいのところまでガムを引っ張ったように垂れ下がる数々のスポットライト。壁に貼っていた自慢のレッドツェッペリンのレコードはシャンプーハットの様に波打っています。ボトルはネジ型にくねり、床は食器などの残骸で歩くとグシャグシャと鈍い音。

 僕は唖然として、瓦礫の上でしゃがみこんでしまいました。すぐさま共にしゃがんでくれた消防士のおっちゃんが、肩を抱きながらこう言います。

「ええか?何度も言うで、君はかなりラッキーや。階下のカラオケ屋には漏れないように水をかけたつもりや。普通はそんなもんに遠慮はせーへんで。わしらでほんまよかったな。もし漏れていてもそんな大したことはないはず。どっさりと漏れたら大変な損害賠償になるからな」

 そういって、火元と思われる場所へ僕を連れていく。
「ほんまはもうちょいで大惨事やったんやぞ。ここ、火元を見てみ。ガス管の50センチ手前や。おそらくここにあったゴミ箱か何かから火が出て、すぐその上のバックカウンターにあったテレビに引火。それが落ちてどかーんとなったと思われるねんけど、なぜかガス管には影響がなかった。万が一、このガス管に飛び火したらマンション丸ごとイってしもてた。紙一重で君の人生は助かったんやで」

 大惨事を免れることができたのは、この日の早朝に突然季節外れの大きな落雷があって、それで目をさましたマンションの住人が煙臭いことに気付き消防署に連絡してくれたからでした。その偶然がなければ、5階建てのビルは全焼したかもしれません。

 その後、僕は朦朧としたまま消防署、警察署で取調べを受けたのでした。担当していただいた消防士さんがやってきて「兄ちゃんはほんまツイてるで。火というものはな、時に科学では割り切れんことがあるんや。いくら調べてもこんなに燃えるわけがないということがあれば、逆に不思議なくらい被害が少ないこともある。不思議な世界や。兄ちゃんは守られとる。池田(隣町)に〇〇分社というええ神社があるからそこへ行ってお祓いでも申し込んできたらええわ」と思いもよらぬアドバイスもいただいたのでした。

 翌日から、僕は狂ったように店を磨きました。洗剤を買い込み、カウンター、壁、トイレ…。くねったボトルやレコード、CDなどを掃き出し、かろうじて使えそうなものをまた磨く。もちろん、そんな作業では再建は不可能です。でも、店は自分のすべて、我が子の様なものだったことに気付きました。煤だらけになりながら何度も何度も涙して「ごめんな、ごめんな」とつぶやきました。

 そんな日々の中でも、こんな田舎町の15坪というのに家賃31万5千円は払っていかなければなりません。生きていくためになにができるのか。考えても何も浮かばないので、とりあえず屋台を始めました。最初は歩道に出て、ぬるい缶ビールとミックスナッツを並べます。

 するとすぐにまた警察が来て、公共の場ではできない旨の注意を受け、今度は店先のテラスに並べます。が、いくら近所の酒屋で冷えたビールを買ってきたと言っても、中途半端にぬるくなってしまいます。そこで、ある日、産業廃棄を職業とする客が中古の屋外用冷蔵庫をプレゼントしてくれたのでした。

 これが、ちょっと音はうるさいけどまだ生きてました。水をはってビールやジュースをたんまりと浸け込み、1本300円で販売。やがて、音がないなんてありえない、と店でよくライブをやってくれていた人たちが、ギターを持って歌いに来るようになりました。さらに常連の女の人たちが、洗剤や雑巾、食べ物を持ってきてくれたり。中には弁当を持ってきてくれる人もいました。

 当時の僕は一人暮らし。毎朝5時頃に家に帰り、陽が昇ると同時に眠りにつき、夕方から買い物に行って店を開けるというルーティーン。営業中は酒と精神不安定のためか食欲は殆どなかったものが、外の空気を吸っていくうちに徐々に食欲が再燃しだしたのです。

 僕はなんだか恥ずかしくなりました。それまでの僕は常に疑心暗鬼だったからです。でも、いざとなると人はこんなにも優しいなんて。今の自分がこうして生きていられるのは、みんなのおかげだったのかと痛感しました。

 店はどれだけ磨いても殆ど意味はないのですが、それでも毎日磨きに行きました。そして冷蔵庫の電源を入れて、缶ビールを冷やしておく。段ボールに「OPEN」と書いて。

 半月ほどがたった頃、家主さんから話がありました。僕はそれまで保険の存在すら知らず、毎日を必死で走ってきました。が、家主が巧く融通してくださって、凡その費用を持ってもらえることになったのです。また、再建のための工事の目途もつきます。この際だから、前のような汚い落書きやペイントだらけの店内ではなく、ちゃんと普通のお客さんを呼べるような綺麗なものにしなさい、とアドバイスもいただき、僕は二つ返事。

 1ヵ月後には、ようやく店の一部が生き返りだします。それがターンテーブルでした。生き残ったレコード、ロバータフラックのユーヴ・ガット・フレンドをかけます。真っ黒な店内に音がもどったその瞬間、涙が溢れました。一人では何もできないことを思い知ります。

 燃えてから2か月後、店の再建工事が始まり、約1か月をかけて完成しました。今度は2枚扉の入り口です。全体を防音材で固め、ちゃんと火災保険にも入りました。そして以前に消防士から教えてもらった神社に御祓いもしてもらいます。当時の我が店のスタッフ二人も参加しました。鼻にピアス、腕にタトゥーだらけの金髪のアホ男と、ムチムチボディの女子スタッフです。彼らにも清めた塩を溶かした水と白い札がついた棒が振られます。店の隅にはご守護のお守りが。「お祓いしたからもう大丈夫なのではなく、これからは店を丁寧に大切にしてください。そうすれば神のサポートがあると思います」という一言がとても印象的だった。

 こうして、店は再び生まれ変わったのです。再開したのが意味じくも開業日と同じ10月10日でした。

 店というものは、目には見えない色んな力によって生きている、ということを思い知った出来事でした。

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