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どうでもいい話、寄り道したいときにおいでやす

紅葉グラデーション

まさか自分が紅葉を美しく思い、さらに変わりゆく色彩を見るのが楽しいと感じるようになるとは…これってトシのせいでしょうか、それともまともになってきたから???

僕の1日は朝だいたい6時半頃に起床して、ヨーグルトとフルーツ食って、台所の番犬、黒柴ことクロを連れて散歩に出るのですが、いつも体操やヨーガをやったり、他の犬友とおしゃべりする公園がありまして、ここの木々の風情がなんともいい感じなんです。

今夏は類のない猛烈な台風で、多くの木々が倒れたのはもちろん、忘れた今頃になって倒れる木もあったりで、その強烈さがじんわりと感じられます。

でも、ちょうどいつもヨーガをやるあたりの周りの木々は元気で、夏は艶やかな緑色となり、秋は眩しいほどの赤色になるのです。

年々秋の時間が短くなっていってますが、今年は暖かい日が続き、かなりゆっくりペース。

日々の写真を撮っているので記録しちゃいます。

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12/8(ついにピークか⁈)



写真はすべて補正なし。やはり曇天の日は色が落ちますが、晴れると透き通るような美しさとなります。

例年もっと真っ赤っかになるので、まもなくピークがやってくるのでしょう。うーん楽しみです。

キッチンを掃除していよいよ自作の食器を




久しぶりに我が家のキッチンを掃除しました。
といっても家そのものでなく、あくまで僕のモノを大掃除しただけなので中掃除。

今までやってきた店やキッチン&オフィス(かつてのスパイス料理研究所)のかなりのモノを人にあげてきたわけですが、それでもまだまだ小さな店くらいなら出来そうなほどモノが溢れています。

そこで取捨選択を生き残ったものとして、自分が焼いたへたっぴな食器があります。

飲食業の道に入ったのが16歳。そして食器に興味を持ち出したのが20歳の頃。最初は食器を飾るインテリアとしての鉄細工から始まり、その道の作家さんの工房に通い出し、次はガラス工芸作家へ。その方は僕が勤める店のワイングラスを作っておられました。

その後はボーンチャイナのプレートにどハマり。ナルミやノリタケは支社のショールームまでなんども通って見惚れたものです。

23歳で生まれて初めて自分の料理のための食器を作りました。当時は高級スポーツクラブのラウンジ運営を委託で請け負っていて数々のヘルシーメニューを開発しまくっておりました。

その中に、茶そばや手作りわらび餅などの膳「竹取物語」なるメニューがあり、その食器もオリジナルに徹したのです。

あれこれ考えて調査を経て、竹細工をすることに。竹そのものも自分たちで収穫します。産地は店からほど近いクラブの会員さんが所有する竹やぶ。

スタッフたちと共に5、6本切ったでしょうか。それを持ち帰り、好みの形に整形していくんですが、ど素人だからそれでは全部割れてしまいます。

竹は硬くて丈夫だけど縦にすぐに割れてしまうので、よくよく乾燥させてから細工しないといけないんですね。

地主の方に説明してあらためて収穫に。いろんな方が教えてくれました。こうしてこれくらいになるまで乾燥させるのだと。

そこで準備ができた竹から細かく切っていきます。これがなかなか硬い。なんとか大中小のパーツを整えます。

やや曲線を持ちつつも長細い形の皿は副菜やデザート用に。幅1センチほどの棒はタコ糸で編んでそばを載せる簾に。細い部分は輪切りにして上部を薄く削ってそば猪口にしました。

素人なりにこれがまたいい感じで実に好評でした。

こんな風に僕は常に食器への思いが料理と同じくらいあるわけですが、2007年には兵庫の陶芸教室まで行って、ターリーというインド料理を載せるプレートやプレート、お椀、小皿などを何度も作成。

教えてくださった方は、下手くそがいい格好したがったものほどダサくなって、下手くそでも素直に焼いたものほど少しずついい味が出てくるものだ、と言うのですがその言葉がようやくわかってきたような気がします。

今回掃除してて、これは捨てられないと思ったことはもちろん、今までも使ってはいたけどあくまで補欠的存在だったものを、これからは最前列にしようという気になりました。

というのも今でもたまに食器は見にいくし、取材でもしばしば注目しているのですが、自分が焼いたものって否が応でも超オリジナルであることに気づきました。

それに何より、陶芸の先生が言うように、捨てずに残してきた自作の食器はどれも実に味わい深いものだと思えてきたのです。

あえて指や手のひらで整形したものばかりで、色は基本的に白色ですが、釉薬をつけてないものもあって、それらは薄茶色。

とはいえスパイスべったりだとやはり染まってしまうので、それも今まで料理を選んできた理由です。が、何枚かはスパイスが染まってしまったものもあり、それはそれでまたいい風合いになっているようにも思えます。

というわけで、今後は遠慮なくスパイス料理にも使っていこうという心意気です。

来月は3回合計20ほどの料理を作成する予定ですが、積極的に自作の食器を使おうと思います。

ウッシッシ〜楽しみです(^ω^)



執筆と料理の秋

昔から秋は食欲とか読書とか言われてきましたが、完全アウトサイド街道を生きてきた僕にはまったく無縁でした。

それどころか、16歳から料理を提供する側になり、20代後半からはものを書く側になってしまい、いやはや人生はやっぱ不思議の連続ですね。

しかもこの10年は家事にも追われるというさらなる不思議な状態に。10代はバイクで駆け抜け、20代は酒と女と博打に…というと引かれそうだからこの辺でやめといて。

それが今のカミさんが大病して以来、ジャンル的には10代から変わってないけど、立ち位置が正反対になりましたね。

もっとも身近な家族であるカミさんのために食事を作り、買い物、送り迎えもセットでやるのが毎日の仕事に。

掃除は半々というか力仕事は僕で、細かいのがカミさんに。ただ、彼女は元々読書の虫で、僕は教科書すら売っちゃうようなアウトサイダーですから、まさか書く仕事なんてするとは誰も思ないわけですが、そんな僕の不器用すぎる文章をカミさんは偉そうに校正の上の校正をしてくるのです。

それって何かというと、通常の編集者はアカや指示を出してくれるものですが、カミさんの場合は、あーつまんない!とか、むつかしい!とか、飽きる!とか、お前それじゃ僕が勤めてた超ガラの悪い、でも澄んだガラスープが自慢の中華屋の超わがまま客と同じじゃないか、と。

アホなこと言うな!となるのですが、お客と同じだと思うとそれこそが一番大事なフィードバックとなるわけで、悲しいかな言われ放題の現場で育て上げられてきた僕としては否が応でも必死になってしまうのです。

で、こんなムカつく生活の中で今度はおふくろが認知症になってしまうのです。

これはもう説明不可能。うちの場合は進行がなかなか早い方のようで、外見的には兄貴の嫁さんと同居なのでよかったね、となりそうなもんですが、実はその逆で、それがもしかしたら原因で認知症になっちゃったんじゃないかと言われるような状況で。

具体的にはおふくろや義姉のプライバシーのために黙っておきますけど、とにかく杓子定規な物の考え方は全く当てはまらない。

医療関係者や介護福祉関係者の友人に相談すると、これは完全に要介護上位レベルだそうで、対策としてはケアマネを変えるのがいい、とアドバイスを受けるも、その権限は僕にはない。

土壇場が続き、自分なりにいろいろ考えました。本当この10年、特にこの2年はますますハードに。何度逃げ出そうかと思ったかわかりません。

でも、元アウトサイダーだから、僕にとっては時と共に内側に、家に、ここでは家族に目を向けて行く運命にあるのだろうなと、思うわけです。

子供の頃、どれだけ憧れても手に入らず、完全に諦めて脳回路から排除した夢の数々。

文頭にあったように、自分の人生は世間と逆だと言うことをすでに悟っているわけですから、今はわかっています気付いています。

今では家事こそが料理研究のための何よりものいい仕事現場になっています。おふくろのための食事もさらに幅を広げて底を深くしてくれています。

言いたい放題のオバハンと、自分の歯が4本しかなく頭がぶっ飛んじゃってるお婆さん。お客は僕に選べないのは当たり前で、その上全く遠慮のない究極の2人が毎日の客。

逃げたら、人生そのものを否定することになってしまう。受け入れざるを得ませんね〜(^_^;)

ここに来て、今年も例に漏れず、著述が多忙になる秋。文才なんてかけらもない僕ですからズズッずっと勉強です。偉そうに若手を引き連れるなんて人生はたぶんこの先もないのでしょうね。

昔は常に人が周りにいて、長い間いろんな人間と共同生活をしてきましたが、今思えばあれほど楽しい時間はなかったな〜なんてね。

今は孤独が仕込みの第一歩みたいな仕事をしちゃってます。孤独がないと著述は難しい。やりたいことやって、食べたいもの食べて、いつも誰かとベタベタしていると、自分を俯瞰してみることはできませんから。

ただ、その俯瞰されたものが人と共有できなければ売れないわけですけど。今はみんながとにかく誰かとベタベタする時代になっていると言う仕事仲間もいます。確かにそんな気配もあるな〜

SNSでいいね!押してないと干されちゃうとか。本当かな?と思うけどどうやら若者の間ではそれがイジメにも繋がっているのだとか。

なんだかよくわかりませんが、そう言う人が増えていくと、そう言うものしか売れなくなっていくのは当然のこと。

でも、まだまだたくさんいると思うんです。まずはちゃんと俯瞰して、推敲と校正を重ねてこそ成し得る、真っ当なノンフィクションといいますか、時に演出もあるでしょう。とにかくプロの作芸に面白みを感じる人が。

ま、僕は世の中や他人を評論する立場にはいませんし、とにかく自分自身のことで精一杯というのが現状。

さて、大きな企画が一本終わって、ちょっと一息つけるようになった今週。来週からまた次の企画に向かって走っていかなければなりません。

読書は今なお苦手ですが、その分お前は書け!食欲の秋だから人のために家族のためにうまいものを作り続けろ!

そんな風に神様から言われてるみたいな。
あぁ〜誰か僕とデートしてくれへんかな〜







9月10月と、

打倒認知症おふくろ日誌〜スパイシー弁当プラン

打倒認知症おふくろ日誌〜弁当プラン

年末進行による嵐の前のドタバタで、先日カミさんやおふくろたちと約束していたランチに。

と言ってもおふくろはもうほぼ外食不可能になってしまっているので、今回もまた僕があれこれ動くわけですけど、うーん、昨日は最高の秋晴れでしたね!

ってことで、ここは弁当をこしらえて、おふくろを騙してどっか外へ引っ張り出そう作戦。

ほぼ歩行ができなくなってからというものの、すっかり引きこもりになり今や季節も日時も全くわからなくなってしまったおふくろ。

潮風にあたればちっとは頭が冴えるかも、と思い、兵庫南部の海岸へ行きました。そこは松林が多くて、ちゃんとトイレやベンチが整備された場所。

トンビも少なくて弁当ランドとしては最高の場所です。こういう動物的なことだけは僕は詳しいです(笑)

で、チープな車椅子で松の根っこをがたがたと突き進み、テーブルについていざ弁当オープン!

おにぎりは具がなかったのでシソ味であえて、小さめにぎって、おふくろが大好きな海苔で丸包み。

さらにミニミニ出し巻き卵(3個で6切れ3人分)とサラダ(コリアンダーリーフとゴマのドレッシング)、根菜の炊き合わせ、デザートにシナモンかりんとうを。

デザートは僕が昔考えたもので、お客さんたちから大好評を得ていた自信作。

そしてどれもこれも、おいしいおいしいと、実に幸せなランチじゃござんせんか、と思ったら、なんとおふくろがおにぎりを一個しか食べない。

僕らの半分しかないのに残すの?なんでかなぁと思ったら、なんとなんとノリが硬くて食べづらいようなんです。

昔あんなに大好きだったのに、と思ったのですが、今は自分の歯が4本?5本?しかなく、歯茎がどんどん痩せていくもんだから入れ歯もなんども調整を繰り返していて、日に日に柔らかなものしか食べられなくなっているんです。

でも、そう言えばこの海苔は分厚くて硬い。我が家は海苔を切らしたことがないほど大好きなんですが、昔はもっと薄くて香りのいい海苔が多くあったっけなぁ。

以前、能登取材に行った時、海岸の集落では寒の内(年内12月のうち)にとった海苔は青々としていて香りが良く、薄くて上品だったことを思い出しました。年が開けると、赤黒くなってきて硬くなるのだとか。

天然は岩になったものをこそぐんですよね。三重の志摩でも体験したことがあるのですが、これが暇のかかるのなんの。

現代はますます養殖が増えているのだそうですよ。

まぁしかし、いずれにせよ海に恵みであることは変わりないですね。うまいものはうまいんやと。

結局、せっかくではありますが海苔をベローンと剥がして、おふくろはなんとかおにぎりを食べきることができました。

トンビならぬ、カラスや鳩も遠巻きから見ていたのは感づいてましたが、我が家のアホ犬クロがいることで距離を置けたようで。こいつも希に番犬になれるんですね。

この後、ビーチまで行ってもう1つのデザートに潮風。ここの海岸はバリアフリーなので海のすぐそばまで行けるんです。

さらに砂浜へ降り、車椅子を降りてもらって、カミさんが手を取りどこまで行けるかな。なんとか海水に触れますように。

おふくろは元々海や水が嫌いだったんです。でもボケてきたら何でも試せるわけでもありまして。余生でボケて苦手克服ってのもいい思い出になるんじゃないかな、というのが僕の提案です。

そして波打ち際まで15メートルほどあるのですが、10分ほどをかけてようやく5メートルほど前進。

でも、ここで力尽きたみたいで車椅子にへたり込んでしまいました。

しばらくこの状態でアホ犬クロを泳がせ、カミさんにも遊ばせ、とりあえずテンションアップ。おふくろは似合わぬ海辺の紫外線の下で笑いながら目を細めていました。

よかったよかった。遮光カーテン閉めて家で、今日はいつ?誰か見知らぬ人が入ってきてる!とか訳のわからないことを言ってるよりも、絶対こっちの方がいいはず。

この後、夕方に歯医者があるのでさっさと引き上げました。お金も道具もさほど要らないって。

旅は簡単にできるんだから。ボケていいこともありますね!


ハイもう完全に年末進行で

もう完全に年末進行ロックオン状態に入りました。

何十年繰り返してもこればかりは慣れません。゚(゚´Д`゚)゚。

元々大阪のライター業はギャラが安価なことで有名?ですが、不景気と叫ばれるようになってから仕事数もギャラも半減しているのに仕事量は三倍増しになっているという事実。

増していいのはチャーシューかシナチクやって!おっと尾道ラーメン山長ですね。なんのこっちゃ。

ま、ぼやきはこの辺にして、今からまた打合せが。と言っても電話でですが。

時刻は現在夜の9時半。先方も多忙なのであります。

今日は道もやたらと混んでたし。やっぱりみなさんも年末進行ロックオンなんでしょうね。僕も頑張ります。



今日届いた、お米のサンプル。松阪の農家さんのよるものです。ジャポニカ米とインディカ米の掛け合わせです。日本人好みと本場っぽさが半々入ってるわけです。昔よくお米の研究におつきあいさせてもらったことがありまして、その後も専門書で書いたりも。いくらスパイスがどうこう言っても日本人はやっぱりお米なんだと思います。

たまには?与太話

いやはや、9月のイベント以来、東奔西走の日々を送っております。

忙しいということは本来おかげさまなはずですが、僕の場合は不器用さが大半の理由。伝票は何千回書いても3回は間違えるし、包装はぐちゃぐちゃだし、3つ以上用事が入ると必ず3つ目が綺麗さっぱり亡失する。

店をやっているときは5人目までのオーダーは絶対忘れなかったのになぁ。

でも基本的に生まれつきのものなので、もうどうしようもないのですが、それでもまだなんとか出来るんじゃないかと信じている自分がいる。そこが未熟の元凶なんですね。

ただ不器用な自分と今日までなんとか付き合ってこれたのは、ごくごく一部にだけ水が流れる道といいますか、知らぬ間にすいーっと進んでいく筋があったからです。

それが料理のレシピを作ったり、人を取材したりすること。

幼少期は誰よりもすぐに泣き出すような弱虫で気が弱い子だったくせに、気がつけば毎日のように誰かの家に上がり込んで一緒に食事をとっている。時に見知らぬ人からも声をかけられて、そのお宅に上がり込んで食事をいただく。

で、これが面白くてしょうがない、と自分が感じるのは他の人とはちと違う感覚だったことに気づいたのは、30歳になってからのことでした。

そういう大人になってからこの体質はちょっと違うのだなと気づくことがめちゃ多く、それはつまり個性であることを知るわけです。

こういった、自分の好みとは関係のない、自分の気づかないような普通のことで今まで生きてこれたことに今更ながら驚きます。

いや、こういうとなんの努力もない奴と思われそうですが、それなりに頑張って来たつもりです。というか何度もボロボロになりました。

身体を壊して入院したのは3回ほど。数千万円の借金地獄が15年くらい続きました。自分の身柄以外すべてを捨て去ったこともあります。家もテレビもコタツも、おまけにガスコンロも。他にもまだまだ、失ったものは数え切れません。

それをよくよく知ってくれている旧友たちがいるからこそ僕は今も健康で生きていられることは間違いないです。

でも、それこそいろんな人を取材させていただいて思うのは、僕なんて小僧だということです。凄い人が世の中にはたくさんいるもので。

これは有名無名は一切関係ないです。隣のおっちゃんだってそうかもしれない。本当に凄い人というのは見た目じゃわからないものなんですね。

さて今日も原稿が待っている。物を書くということは昔から最も苦手な作業で、毎回寿命が縮むような思いになります。

でもこればかりは何としてでもクリアしなければならない。でないとただの炊事野郎か流浪人になっちゃうから。

生まれつき持っているものは、そのままでは活かせないということですね。やはり社会とのチューナーを磨いていかないと。

それが僕にとっては書くということです。僕の執筆はいつも地味。自分を売り込むために書くのではなく、出来るだけ忠実にどこかにある事実あるいは物語を伝えたいと思っているから。

僕は言葉を発するということが最も苦手なことでした。こういうと誰もがネタだと思って笑います。

でも本当なんです。人前で喋るなんてのはもってのほか。書くのも同じことで、できれば一生洞窟の中で暮らしていきたいくらい。

でもそこには美味しい料理や素敵な人はいないから。

書く、という作業にまで落とし混んで、初めて人様の役に立てるわけですね。

あー書くのが辛い。ブログならだらだらでいいから気が楽だけど、仕事となると方向性や文字数、表現方法、事実の裏取り、構成、取材先との付き合わせ、編集者チェック、校正などがあり、また違う世界だから。

あ、中にはチェックや校正なんてしない編集社もありますけど、僕のクライアントはどこもそういった厳しい会社ばかり。

あーいつまでもスマホいじってる場合じゃない。いい加減に机に向かわないと。ほな今からシャワー浴びて頑張るとしますcrying

打倒認知症スパイス介護


たまに有名人なんかの介護トークをネットニュースなどで見受けますけど、こればかりは杓子定規にはいかないな〜と痛感する毎日です。

人それぞれ顔も生き様も全然違うように、その人の老い方も全員違うということが痛いほどわかってきました。

おふくろの症状はますます加速しています。もうこれは説明が不可能。それくらい突拍子がない。

会話が通じ合わない、同じ話をし続ける、同じ質問をし続ける(それも何日も何ヶ月も)くらいならまだ序の口。

突発的に睨んで来たり暴言を吐いたり、誰かを疑ったり、悪口を言ったり、の程度も酷くなる一方で、でも方向性は同じ繰り返し。

例えばそれが僕のことだったら、基本は僕のことがこんな風に嫌というのは決まっていて、その深みやエピソードが増えていくのです。

もちろんエピソードは幻。疑心についてもおそらく全てが幻。

不思議なものでまともな解説をすると一切頭に入らないのに、憎悪、疑い、恐怖などネガティブなものはしっかりと刻印されて、そこばかりが勝手に進化していく。

100パーセント崩壊じゃなく、そう言った部分だけは繋がっていたりするものだから、どうしてもこちらは正気をみった人間だと思って接してしまう。

本当は脳みその中で全部繋がってるんじゃないかという疑心のスパイラルですね。

これを僕や身内だけにぶつけてくるならまだしも、最近は他人にもばら撒きつつあります。銀行や郵便局、牛乳配達、コープ、各種の医者、家電屋、いつもお節介してくれてるお友達、その他近所の人々。

悪ガキを持った親みたいなもんで、あちこちから電話がかかってきます。今朝もそれでした。もうどこからとか言いたくないほど恥ずかしい。

僕がガキの頃に社会に迷惑をかけるたび、おふくろが頭を下げた数をすでに通り越してるんじゃないか?と思うほど。おふくろよ、もう元は取ったでしょ?勘弁してくださいよ。そんな気分です。

でも、そんな中でもふと感じることがあります。それは想像以上に社会は親切だということです。

ほとんどの皆さんは仕事中なわけで、あくまで事務的と言いますか、だいたいはいちいち感情的にならずルーティンワークをこなしていると思うんです。

でも、そんなドライな状況の中でも、おふくろの失態に真正面から向き合ってくれて、電話で何度も同じ説明をしてくれたり、カードがない印鑑がない、などという個人的なことまで付き合ってくれて。

それらは総じて幻であることはすでにみなさん推測の範疇にあるようで。それがわかるから、あぁこのボケタイムに付き合ってくれてるんだなと思うのです。

むしろ心配してくれてる、世話をやいてくれてると言ったほうがいいですね。これが実に有難い。

もう僕なんか個人的にも年々頭を下げることが増えていて、しかも単に下げるんじゃなくて、ちゃんと真心で持って、言葉も尽くしての話。

そこに加えておふくろのことですから。そろそろ腰を痛める頃じゃないか、なんて思うわけですが。

そう感じている今日この頃の中で、あぁいざとなったら日本人は温かいな〜って感じることが増えて来たのです。

介護のあり方って人それぞれ違うと思います。介護を描いた評判の漫画があるようですが、これは施設に預けているお母さんにたまに会いにいくという物語でした。これは介護じゃなく単なるお見舞い。

介護とは生活そのもの。当の僕も行ける時だけというやつです。多ければ週に4日くらい、少ないと1日か、2週に1日になってしまうこともあります。

実際にやっていることは、うちの場合は食事や買い物、掃除、車椅子などが多くて。最近はシモ関係も徐々に。

カミさん曰く「まだまだ可愛い方」らしいです。絶対に自分から言わない人なんですが、恐る恐る聞いてみると、あーやっぱり聞かなきゃよかった、ってことばかり。

この生活がいつまで続くのか、という思い方と、こうしていられる時間を大事にしようという相反した思いが常にあります。

この状況で僕にできること。とにかく、打倒認知症、おふくろのためのスパイス料理をとことん作り倒します。

9/28松阪『八千代』スパイスの会に向けて

いよいよ今週となった、松阪城下町の老舗割烹旅館『八千代』さんでの『THALI』イベント。

『THALI』とは、かつてカワムラケンジが松阪でやっていたインド日替わり定食の小さな店の屋号です。

クローズした2001年以降、カフェハンキードゥリーでは何度かイベントを開催してもらっているけど、それ以外では木工作家の阪口君の工房と森林公園でアウトドアイベントをやったくらい。

しかも今回は三重県で名高い、料亭でのイベントときています。まさか我が『THALI』が『八千代』さんで料理会をするとは夢にも思っていませんでした。

これまでイベントに来れなかった方々に来ていただけるチャンスでもあります。とは言え、『THALI』常連大人層の多くの方はSNSなんてやってないか、一応アカウントを持っているだけで使ったことがないような方々ばかり。

僕もすっかりSNSに犯されていて?それ以外の連絡方法に頭が行ってませんでした。で、今回あれこれと昔のアドレスを掘り探り、ようやく見つけ出した何人かの方々に電話を。

やっぱりいいですね電話は。ドキドキして出るかな出るかな(*゚▽゚*)と思ったら出たっー!

うわー声変わってない!お久しぶりです。あれからあーでこーでこうなって…へぇーそうだったんですか!嘘でしょ???

みたいな、もう何から話していいかわからなくて、中学時代に彼女の家に電話した時みたいに不整脈寸前のドキドキまくり。

店を閉めて大阪に戻ってきてからあっという間の17年。長い長い、でも早い早い。

でも、さすがこれだけの時間が経つと、あの当時でじゅうぶん大先輩だった方々はもういいお歳であるわけで。

いいことよりも、悪いこと?つらいこと?寂しこと?の方が圧倒的に多くて、なんだか泣きそうになりました。

あー僕も必死に生きてきたけど、皆さんもめっちゃ必死やったんやろな〜なんて。

大病を患う方が多く、中には再起が難しい方、他界した方も。そんなこんなで両手放しに喜べることばかりじゃないけど、でもね!こうして再会ができる方もいるわけで!

なんだか再会って奇跡のようなもんですね〜
若い時は思ったことないし、会えて当たり前だったし、時には煩わしく思ったりも。

そう言う意味で今回のイベントは、単なる料理会ではないです。もちろんはじめてお会いする方々には、かつての松阪『THALI』のご挨拶となりますし、シンプルに料理を楽しみに来られる方もいらっしゃいます。

それに加えて、僕個人にとってはとても大きな意味を持った会でもあるというわけです。

あの時があったから今がある。これはあの時には思いもつかないことでした。

僕は狙ってスパイス料理研究家になったわけじゃなく、すべてお客さんや友達、料理人、インド人!編集者‼︎ 職種関係なく親愛なる全ての方々によって育てられた1つの結果です。

だから役割として与えられた今ということになります。ちょっと興奮し過ぎて何を書いているのかわからなくなっちゃった。すみません(*゚▽゚*)

とにかく、とにかく、数日前から準備仕込みを始めているのですが、胸が熱くなって仕方がないです。なんだろう?この熱い想いは。

人生はずっと繋がって今があるんですね、としか言いようがない。

今回は変化球なしの、オーソドックスなインド料理ばかり。まかない、家庭料理がコンセプトだった『THALI』から進化した部分も提供する予定です。

ロードサイドのレストランで出てくるような料理も2、3品作ります。

気合いが入り過ぎて、当日はボロボロになるかも💦

不安と喜びがめちゃくちゃ入り交ざってます。



ペパーチキンマサラのベース完了!これはロードサイドレストラン的な一品。



今回はカシミリーチリを使います。色鮮やかさが特徴。日本には入ってきていない希少なスパイスです。インドの仲良し料理人からの頂き物です。



イベントのフライヤー



今回はバスマティライスと日本米の2種を用意します

『姫路の地魚 食彩図鑑』にゾクゾク




本を見てゾクゾクするのは何年?いや何十年ぶりでしょうか。

先日お仕事でお世話になった方から、自社制作の本ということでいただいたんです。表題の本。

僕は小学校時代は兄貴の読書感想文を6年間加工し続け、中学時代は国語は慢性赤点、高校時代は教科書を持って登校したことが殆どないほどの本嫌いなのですが、この手の本だけは大好きで、築地魚河岸時代は長老から魚辞典を授かり、バーテン時代には海の釣魚ポケット図鑑を何よりもの宝とし、我が書棚の最長在庫本となっております。







ついでに魚かるたもあるよ〜

スパイスジャーナルの次はサカナジャーナルをやろうと思っていたくらいの魚好き。

そんなだから『姫路の地魚』なんて言葉の響きだけでも、今日の約束事も仕入れのリストも吹っ飛ぶくらいの衝撃波があります。



ドキドキしながら紙面をめくると、まずグッときたのが播磨灘(淡路島から小豆島を含む兵庫県沖周辺)の名産ともいうべく魚の1つにスズキが入っていること。

おいおい、スズキは大阪や東京の有機物質にまみれた真っ黒ぬるめの湯加減を好むんじゃなかったのか、と。

全国でもトップクラスの水揚げなんですって。つまり食用に向いているということです。

昔は言われてました。梅雨明けのスズキの洗いは最高と。真水の影響を強く受ける魚がゆえにそう言われるわけですが、公害汚染末期の現代はこれほど不味くて危ないものもない、というのが釣り師の間で常識となりつつある考えであり、実際食べてみると色は悪いし不味くて仕方がない。

でも稀に美味しいスズキと出会うんです。本書にも出てきました。この魚は居着き。つまりその地域で生まれ育つ魚。



だから地域性がもろに出るわけで。美味ということは、それだけ育った場所が美しいということなんですね。

海で言う美しいとは透明度ではなく栄養度というべきでしょうか。要するに生き物にとって好環境かどうかです。

こんな状況から水揚げ量がトップクラスということは、播磨灘の栄養度もトップクラスというわけで、それは海が健康的という意味でもあるのではないかと浅知恵の僕はそう思ってしまいます。

あと感激なのがサワラ。瀬戸内海の名魚といってもいいくらいの魚ですが、結局この本来は外海の回遊魚がなぜ瀬戸内海の名産なのかというと、タイやブリなどと同じく、最適な産卵場になっているからなのですね。

これは昔から聞いていることですし、同様に富山や常磐もそう言われるのですが、瀬戸内海は通年の海水温度と潮の干満の差が激しいことが強みのようです。

魚はデリケートに反応しますから、温度や潮の流れには実に敏感です。1300万人を擁する京阪神にとってこれほど好都合な海というわけですね。

ですが基本的に海の資源は全て激減の流れにあります。今時の子供達が好きなサーモンやマグロはすべて遠方の外洋系。早い話が輸入品。

日本の歴史が詰め込まれてきた寿司は基本的に目の前の海で上がる魚種ですから、とっくに寿司は日本文化出なくなっていると言えますね。

中でも穴子はすでに幻、と魚河岸の仲買も瀬戸内海の釣り師や漁師の口癖ですが、東は羽田、西は明石ということで、地元のプロはどう考えるのかと思いきや本書に載っていました。

昭和の終わりに数百トン〜800トンあったものが、平成10年で200トン、20年には100トンを切り、24年には50トン以下で増える可能性はなしだと。シャコやアサリも時間の問題のようです。

が、一方で増加傾向にある魚もありました。それがハモとサワラ。またまた登場ですねサワラ。サワラはスパイス料理にしても美味しいですから個人的にはかなり嬉しい話です。



ただ悲しいのは、いまだサワラを釣ったことがないこと。神戸あたりでルアーでゲットできるはずなんですが(涙)

ほか、播磨灘の平均水深は約25メートルと想像以上に浅いことにも驚きます。特に本土側が20メートル程度の砂泥底。明石海峡西部や淡路島南部で60〜100メートルなんですって。

ちなみに日本最大の魚種量を誇る富山湾は1000メートル以上と言われますから、これがいかに浅いかということです。浅い=魚にとってはあまりいい環境ではない、はずですが、先述のように温度差と潮の流れ道であり、干満差が大きいことから回遊魚も入り込むし、河川が多くて栄養が豊かなことから産卵場所に最適だという奇跡の海なんですね。

まー自然は全て奇跡なんでしょうけど、これほど人類にとって好都合というのは奇跡の中の奇跡なわけで。いい加減な遊び人フィッシャーマンである僕はやっぱり日々自然に畏敬と感謝を感じてしまいます。

いただきます&ごちそうさまです、瀬戸内海!
そして今度こそ釣ってやる!

260キロ+280キロ+280キロ

表題は2日間で走った合計距離です。

先日、ようやくの夏休みということでカミさんを連れて淡路島へ日帰りドライブに。

その翌日は親戚の所用で静岡県まで日帰りで行ってきました。

以前ワンボックスカーをレンタルして、名古屋経由で富士山往復した時と同じくらい疲れました。とにかく肩が痛い。

でもできるもんですね、2日で800キロオーバー。僕の車はフィットのガソリン車1300ccです。

昔は単気筒バイク400ccで大阪から地べた走って北海道まで2週間で4400キロ走ったことがありますが、あの時以来の1日あたりの長距離記録かも。ま、当時は僕個人の趣味ツーリングですけどね。

今回なぜこんなことになっているかと言うと、まず鬼瓦への奉仕活動が第一で、第二に
95歳になる親戚が転倒して背骨を骨折してしまったこと、第三に認知症が酷くなる一方でますます塞ぎ込んで行くおふくろが自ら会いに行きたいと言い出したことで、ちょっと頑張ってみた次第です。

おふくろは日中でも遮光カーテンさえ開けることがなくなり、言葉のみならず時間の感覚もなくなりつつある状況。その中での、行きたい発言はとんでもなく嬉しい一言だったのです。

また親戚本人を含め、あれこれとお世話になっている方々へのご挨拶と今後の話し合いも必要な状況でした。

これは仕事が多忙な兄貴の代理という宿命的な役割でもあります。

実は僕の誕生日でもあったのですが、例に漏れず「おめでとう」と言われるだけで、当日はひたすら運転手&車椅子要員&テレビAD顔負けのパシリ職人。

今日は今日で普段通り、買い物&食事の支度&犬の散歩云々の使用人状態。

これ、好き嫌いの次元じゃなく、仕方なしにやってます。というか、やる他に選択肢はないから。

まーそんなことで本当なら日頃から肩くらい凝っててもおかしくないはずなのに、800キロ以上走ってようやく肩が痛いというのはきっと幸せなんでしょうね。




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