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結婚式で乾杯の音頭!のはずが(;・∀・)

先日、横浜まで車で行ってきました~ あぁしんど~(;´∀`)

片道約500キロ。名神、新名神、新東名を乗り継いで。僕の車は1300㏄のガソリン車で100キロ出すと会話ができないほどうるさいし、犬とカミさんも一緒なのでそりゃもう80~90キロの超安全運転、なおかつ100キロごとの休憩付きなので、だいたい8~9時間かかります。

行きはよいよい帰りは恐い。もうもう、とんでもなく疲れるわけですね~。まー元々車の運転があまりすきなほうじゃないというのもあるけど。

でも、今回はその疲れをぶっ飛ばすくらい楽しいことがありました。

それが久々の結婚式です。特に今回は名刺を配りまくらなきゃいけないわけじゃないし、幾人ものお偉方のなが~いスピーチもないしで実に気分が楽というか、純粋に結婚を祝えるeventで嬉しいやら楽しいやら。

主役はカミさん方の甥っ子です。彼女も同級の27,8歳ですって。いいですねー!この年齢。また彼らは公務員やってて、上司が2,3年で入れ替わって行ってしまうような感じらしく、中途半端に職場の人を誘いにくい状況だったようで。

でもそれがかえって純粋に祝いたいという友人が集まってくれて、実にストレスが少なく良い感じで進むんですね。

場所はなんとなんと、山下公園と港の見える丘公園と中華街のトライアングルのど真ん中!こんなところに式場があるんかい?!と思うんですけどあったんです。横浜は広い!

で、今回の僕は乾杯の音頭を頼まれまして。最初は何にも状況を知らせてもらってなかったので、とりあえず堅苦しい定番のあいさつを頭に叩き込んでいたのです。それを練習して、スマホのメモの中に台詞を書いておきました。

でも、これがいざ紹介されて前に出たとき、おめでとう!と言った瞬間に頭の中が真っ白になっちゃって、よし、スマホだ!と思い、用意しておいた画面に目をやると消えていたのです!汗汗汗(;´∀`)(;´∀`)(;´∀`)

いやほんまの話。頭の中もスマホも真っ白になってしまったらどうするの!?

思わず大阪弁で「いや、あれ、なんで?!消えてるやん」と言ったら場内のみんなが笑ってくれて。大阪人は笑ってくれると元気になるのですね~

この大きなミスによって僕は、「まーもうよろしいね。台本なしで話します。あのねー私はスパイス料理研究家というけったいな仕事をしてるんですけど。まぁ彼はご存じのようにスポーツマンでして食欲は旺盛ですから~~~~~」なんて思うがままにだだだーっとしゃべって、最後に、えいやー!って乾杯ですよ!はっはっはっは!

でも、これがよかったみたいで、最初の第一声だし、そのあと誰もスピーチはなかったので、本当に大きな流れを作る役割だったようで。僕のミスがみんなを朗らかにして、一気にやわらかな雰囲気になったんですって。

いやはや、格好よく、叔父さんらしくびしっときめたれ、などと僕の思う通りにはいかなかったけれど、結果的にみんながいい気分になってくれたのなら意味のある仕事を果たせたのかな~って思いました。完全に神がかってますね~。

でもって式場のスタッフはみんないい感じの人ばかりで。女性も男性もみんな小ぎれいでにこにこキビキビ。人数も多いしね。愛想もあるし。

そして料理も完璧でした。久しぶりにフレンチのフルコースをいただいたな~。前菜もスープも、魚も肉も、そして最後のスイーツバッフェもぜーんぶおいしかったしクォリティも高かった!

新婦も実にべっぴんで、彼女の兄弟も可愛すぎる。そしてお父さんもお母さんも実に美男美女!幸せだな~甥っ子。

結婚式っていつだって気持ちのいいものだけど、今回はこれまた格別に嬉しく感じました。やっぱ身内ってのもあるだろうけど、純粋というのが気持ちいいんだろうなと思います。若さはもちろんあります。でもそれだけじゃないはず。なんというかこう、ただ一緒になりたいっていうそういう気持ち。そして祝いたいっていう周りの気持ち。

いっとかなきゃ。無礼の内容に接しなきゃ。気の利いたことしなきゃ。いくら包まなきゃ。そういうの特に考えなくていいから。

なんでも気持ち一つで変わると思います。

だから今回の往復1000キロのドライブは、肩や首は痛いけど全然苦にならない。それどころか楽しかった、嬉しかった、気持ちよかった!っていうそれだけしかない。超絶ハッピーですよ!ありがとう甥っ子!そして横浜のみなさん!

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行きも帰りも天候にも恵まれて富士山絶景でした!


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夕富士!

 

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港の見える丘公園!肝心の港を撮るのを忘れた!そして式場も!

イベント終了後も体重が減らないのはなぜ⁉️

去る10/20日曜日、2回目となる三重県松阪市の老舗割烹旅館「八千代」さんで「THALI」の会がありました。

通常のイベントとは違い、畳敷きの大広間での食事です。さらに作る料理の数も種類もこれ以上はないというほどの量を用意します。

今回は全8品とドリンク2品のうちどちらかを選択していただき、おひとり2200円!と大阪のインド料理店にも負けないほどの種類の多さと破格ぶりです(笑)

でも松阪は我が「THALI」にとって生まれ故郷。僕がこつこつとスパイス&ハーブについて勉強と店での実践をしはじめたのは二十歳頃からのことですが、ちゃんとインド料理として経営したのはこの松阪が初めてでした。

そして何よりも、命がけだったあの頃。すべてを捨てて行きましたから。もう何もかも。骨を埋めるつもりでした。結果はこの通りですけどあの覚悟があったからこそ、「THALI」は松阪生まれの松阪育ちなのだと、ようするに今があるのだなと痛感します。

やっぱりなんでもリスクがあった分だけ大きなものが手に入りますね。

それはそうと今回のイベントは破格も去ることながら8品のドリンク2品そしてマックス80人分と言う、わかる人が聞けばオー!と言いそうな状況だったにもかかわらず、僕の体重が減らなかったのはなぜか⁉️

まいどまいどイベントがあるたびに2キロほど落ちるんですが、今回は夏のネパールホームステイから帰国して2週間ほどで3キロ増量になってしまって、それ以来ずずっと現状維持。

で、昨日体重計に載ったら1キロ減になっていたわけですが、昨日は一日中運動をしていたからであって、イベントから帰ってきた翌日となる一昨日は現場維持でした。

こんなに働いたのになんで減ってないのかよく考えると、そうか今回は2人の助っ人が来てくれたからなのかと合点いった次第。

この2人は松阪『THALI』の常連客でもあります。2人とも女性で長い間飲食業で働いてきた人たち。ひょんなことでサポートに入ってくれることになり、今回は80人ものお客をさばかなければというのと、そもそもの会場が広大な旅館で、厨房は端から端まで10メートルはゆうにありそうだし、客席となる大広間はくぬあくにゃと曲がりくねって階段を上がった2階に。

なので想像以上にこの2人のサポートが助かりまくったわけです。前回は皆さんの前でマイクをもってのご挨拶のみでほとんど個人的にお話しはできず。でも今回は大半のお客さんの食卓まで顔を出すことができました。

それでも後から館主から聞いた話によると、お話がしたかったのに出来なかった、と言って残念そうに帰っていかれた方が何組かいた、とのこと。

貧乏暇なし人生が長すぎたのでしょうか。僕はついついクソ真面目に目の前の仕事に必死のパッチになってしまう体質が奥深くにまで染みついちゃってるようです。

もういい加減みなさんとコミュニケーションしていかなきゃ、とつくづく思うし、最近ようやく自分はその点が至らなかったのだと自覚できるようになってきました。

よし、次回からはそうしていこうっと!

今回はおかげさまの大盛況でした。まだまだ満たないこともあるかと思いますが、これからも気合入れて行きますんでどうぞ皆さんよろしくお願いしマッスルです❗️

記録

テーマ: インド・パンジャブ・ヒンディ系ベジ一家とロードサイドレストランに行ってもし僕だけ肉を食べてもいいと言われたら、な献立 

メニュー

1.チャナマサラ(ひよこ豆のカレー。赤)

2.パラクパニール(ほうれん草とチーズのカレー。緑)

3.ダールマッカーニ(金時豆や黒い豆のバターカレー。紫)

4.アルゴビ(ジャガイモとカリフラワーの炒め物。黄)

5.ペパーカバブ(肉)

6.チキンティッカ(肉)

7.ジーラライス(クミン入り長粒米)または松阪米

8.ミックスピックル(人参やししとうなどのマスタードのきいた辛い漬物)

9.ラッシーまたはマサラチャイ(今回はパインとヨーグルトのジュースまたは4つのスパイス入り紅茶)

 

全8品+飲み物

おひとり 2200円(下手したらインドより安い)

 

80食以上(予定していた高校生セットは修学旅行で?不在のためおひとりのみ。それ以外は全員大人でした)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

調理時間4日間

 

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認知症は人間味を呼び戻すカンフル的柔軟剤!?

先日こんなことがありました。

昼、行きつけの蕎麦屋でそばをたぐっていると、キャップをかぶって背筋をピンと張ったお爺さんが入店。すると店のスタッフの方が「あ、先もいらっしゃいましたよ〜。今日二回め(笑)」。

スタッフはさすがベテランのご愛敬満点の女性だったということもあり、やんわりと笑顔でそう答えるとおじいさんは「え?ウソッ。さっき来た?俺???」「うんうん」と2、3回確認して、本当かな〜なんて表情でゆっくりと外へ出て行きました。

ぱっと見は元気そうなので、見知らぬ者からすると自分を疑ってしまいそうな。なにやら少し前までは昼と夜1回ずつだったらしいです。それが最近は各時間に2回ずつなどと回数が増えているとか。

スタッフ曰く「これが夜になるとすぐキレてしまって大変なんです。特に店側が男ばかりの時はけっこう酷くて。もうみんな参ってます」

この現象を見た瞬間、僕は、近所の方々に守られて幸せな爺さんだなとか、そういう街って素敵やな〜などと呑気なことを言っていたのですが、スタッフや店主の本気で困っている顔を見て、あーこりゃ我が家と同じだと感じたわけです。

僕のお袋も認知症が猛スピードで進行していまして、一時はブログで書いたこともあったのだけど、もう説明のしようのないレベルに達していてペンも歯が立たず。ここまでくるとこっちもボケる以外に道はない状況です。いやほんま。

認知症は大まかにはいくつかの症状パターンがあるようですが、まだまだ社会の対応もままならない状況で、患者のみならずケアマネ、医師の判断など、それぞれ少しずつ違っているようで対策マニュアルの構築が至難の世界と聞きます。

先日もケアマネのアドバイスにより、主治医とは別の近所の医師に相談に行きました。確かに主治医、その元になった医師、3人3様の考え方と判断でした。ただ言えることは、その本人の人生が大きく影響していくということ。

もちろん性格もあるんでしょうね。そういった個性が最後まで残るというわけで。うちのおふくろの場合は食欲もすさまじいですが。食べる量も志向もまったく変わってしまいました。と言うか変わり続けている。

自分なんかが認知症になったらどうなるんだろう?あぁ想像もしたくないです。

さて、蕎麦屋で遭遇したお爺さんは店からすぐ近所にお住まいのようで、店主のお父様ともお付き合いのある方らしく、邪険にはできないし、かといってお酒を飲む方らしく、ボケに付き合うわけにもいかない。

何度も来店してお腹いっぱいになって体調を壊してもいけないし、酒に酔って道すがら事故にあってもいけない。

僕は冗談で「何度でも客として受け入れたら儲かるんちゃいますの?」と言ったら「そんなことしたらあきません」と苦笑いしてました。

そんなことしたら「俺から何度も金を取りやがって!」と切れる可能性もかなり高い。いや、それこそ認知症の特徴的パターンです。

あれ、不思議なんですよ。うちのおふくろもそうですが、例えば、さっきバナナ食べたのに、10分後またバナナを食べようとするから、もうやめとき!と注意すると、あんたは私にバナナも与えない気か!?いったいどこまで制限したら気が済むのか!?老人虐待だ!!私はまだバナナを食べていないのに!!!~なんてことを10分おきに10回も20回も繰り返すなんてのは日常茶飯事。

そば屋があるのは大阪の下町。細い路地が入り組み、いろんなお店があります。大通りへ行くとファストフードもそこそこ。そういえばマクドナルドやケンタッキーとかどうしてるんでしょうか。何度来ても、いらっしゃいませ!ポテトもいかがですか!?と「その人」ではなく「人数」でカウントしちゃうんでしょうか?

それとも「お父さん、先もご来店してはりました。それ以上シェイク飲んだらお腹壊すかもしれないので、もうやめときなはれ!」「なんやと!?ガキの分際でワシに偉そう言ってええんか!?店長呼んで来い!」「店長呼んでも変わりません。だって先も来て同じ注文してはったさかい、ほんまのことを言うてるだけです。もうやめとき」「ななななんやと~!?お前いくつや?!大学生やろ!わしの孫と同じや!シェイクいらんからコーヒーだせ!」「ほな、セットはなしでコーヒーだけですよ!」「おおおおおおまえ、許さん!!!」みたいな。

それでも笑顔だけはめちゃめちゃキープで。

もしかしたら認知症は、今のこの杓子定規化の一途の合理化社会をいい意味でぶっ壊す、柔軟剤的な役割を持った救世主だったりして。

枚方の川原町という繁華街

こなさん、みんばんは!物書きという生業をしているせいか、どうしても仕事が多忙になると、ペンから気が遠ざかってしまいます。ようやくひと段落した、休憩しよう!って時に、先まで気絶するほど書きまくっていたわけだから。

で、昨日は久しぶりに何にもしない日でした、これを世間では休日というのでしょうね。

そこで前々から枚方で飲もうと約束がってこれが楽しみで。行ってきました、枚方は川原町という繁華街へ。京阪枚方市駅から歩いて5分ほどの便利さなのですが、ココはちょっと気づけないというか、現代人のような杓子定規型行動パターンでは絶対に足を踏み入れないようなエリアで。

白昼はぱっとしないんですよ。今年は縁あって枚方に何度も足を運んでいるのですが、ま、僕もこっちへ行くことはないだろうな、と思っていました。

それが地元枚方で働いている方々にとってはおすすめポイントだというのですね。また、昨日は1979年に他界している親父つながりのある方とご一緒していて、その方もご自宅が割と近く、枚方市駅にはちょくちょく来ているというのです。

夕方の早い時間にその川原町をうろうろと。するとおねえちゃんが相手してくれるカンパイ系の店、昔ながらのだみ声のママが出てきそうなスナック系の店、小料理屋、居酒屋、そば屋、洋食店など、どれも一本筋通ってそうな素敵な気配がむんむんとしている。

こういう一流の気配というものはジャンルを超越するんですよね。スナックでも、キャバクラでも関係ない。そこに共通するのはプロフェッショナルが迎えてくれるということ。それは覚悟をもってその道を生きている人たちという言い方もできますね。

猥雑、時代じゃない、流行りもない、情報的煽りがない。はっきり言って時間が止まった、ある意味守られたエリア、川原町。

合間に民家もけっこうありました。こういう場所ってにわかじゃできないはずなんです。きっと昔からこういう繁華街、多くは花街だったり宿場だったりしたものです。そんな目には見えない地場パワーが現代でも引き寄せるんですね。

どの店も魅力的です。もう全部片っ端から行ってみたい。今はそんなに酒を飲まなくなりましたから梯子ってのはないと思います。なのでこつこつと。うん、枚方へ来る理由ができてうれしいな~。

昨日は行ったのは、炭焼き料理の居酒屋でした。ここで、特大ウインナー、焼き鳥、つくね、ネギ焼き、ハタハタの炙り、などを肴に、ハイボールをかぷかぷと。

ご一緒した方々がまた素敵な人ばかりだからひさしぶりについつい。気が付けば夜11時を過ぎていました。夕方4時に待ち合わせて、ワイン食堂でビールを一杯ひっかけて、その辺散歩して川原町に入ってすでに7時間が経っていました。いやはや、ほんと超久々に時間が飛びました。

それくらい楽しいひと時でした。幸せやな~

写真は川原町の可愛いデザインのアーケードのみ。それ以外は一枚もありません。ご一緒した他3名、30代、40代、60代の誰一人写真なんて撮ってない。本当に楽しいとこうなっちゃうんですよね~

うん、やっぱり無駄な時間は楽しいし、不可欠だし、幸せです。一緒に無駄を楽しんでくれる人がいることはもっと幸せなこと。また行きたい!!

noteというブログみたいのん始めてます

うわーお!大変ご無沙汰してしまいました。

皆さんはお元気でしょうか?

僕は仕事に加えて、最近はカミさん接待に励むことが増えてまいりました。

いや前のように兼業主夫ではもうなくなっているんですよ。でも、今度はご機嫌サポート業に忙しくなりつつあるかなと。

早い話がおふくろの介護がますますへヴィになってきており、さすがの鬼瓦、いや鉄人29号でも精神的にまいってしまうようで。

他人だからできることとできないこと、肉親もまた同じく、というのが徐々に見えてまいりました。

ほんま理屈じゃないですね。認知症マニュアルを作ろうと思うととんでもなく分厚くなるんだろうな。

さて、話がのっけからそれてますね。

表題のnoteってご存知ですか?

何やらクリエイター?クリエイター志願者?たちが自由に表現できる場なのだそうです。スパジャーで漫画担当していた堀内チキンライス君が、おもろいからやりなはれ~と言ってくれて、とりあえず始めてみました。

扱い方はまだよくわからないことが多いのですが、とりあえず文字を載せることはできています。

最初の2話は試しにヨーグルトの話と自分がライターになったきっかけの回顧録。

そして3話めからはシリーズ ”裏町の大衆中華「新大連」チーフ”という私小説を。これはなんとか2,3日に1回のペースで連載したいと思っていて、現在4話めまで進んでいます。

よければ覗きに来てみてください。基本的にテキストばかりで時代を逆行してますけど(笑)

下記にそれぞれのリンクを張っておきます!

「スパイスwithヨーグルト。25年たっても今なお」

「ライターの理由「カレーと憂歌団(原文秘蔵版)」

「裏町の大衆中華「新大連」のチーフ1

「裏町の大衆中華「新大連」のチーフ2

「裏町の大衆中華「新大連」のチーフ3

「裏町の大衆中華「新大連」のチーフ4

目下、我々の問題は釣りと女とナン!

先日インド人の友人Aと釣りに行ってました。といっても忙殺の日々で、片道1時間ほどの芦屋の防波堤での2時間フィッシングです。

彼はインド東部コルカタの出身で、海や山や動物など⁈に強烈なノスタルジーを感じるらしく、暇さえあれば郷土話をしてくるのでした。

10歳?11歳だっけかな。最初はコルカタのホテルの厨房手伝いから始め、デリー、チェンナイ、バンガロールなど各地のレストランやホテル厨房で進化。

持ち前の味覚の鋭さ(なかなか凄いのですよこの人が)と料理勘で、特にビリヤニの美味しさと段取りの良さはピカイチかと。

最近はなぜか料理の技術的な部分ばかりがクローズアップされてるようなのですが、本当のプロフェッショナルの妙味はオペレーションにあると思います。

その点で彼のビリヤニはさすが本場と唸ってしまうだけの深さがあります。ほかドーサやウタポン、イディリなどの、それこそ日本ではオペレーションを構築し難い南インドの朝食軽食なども素晴らしい。

オペレーションとは関係のない郷土料理バンガリー料理もちょちょいご馳走になります。

そんな彼と僕との共有点は魚。特に海水魚そのものに強い興味を持っていること。そこで釣りの話につながるわけです。

そんな彼との釣行は今回で2回目。前回は季節外れの極寒で大渋滞にあい、波止場に着いたのは夜8時頃。今回は少し早めの夕刻5時頃。

で、これがまったく釣れない。インドから呼び寄せたばかりの若い嫁さんもいて、最初はキャーキャー楽しんでいたのですが、だんだん退屈そうになり、挙げ句の果てに野ションしてしまう有様。

その波止場は昨年の台風の大打撃を受けており、街灯は途切れ途切れで瓦礫が散乱したまま。とはいえ20代女子の野ションは日本ではあかん!と告げると、大丈夫ハダノ色黒イカラって。

あ、インド人は女性でもけっこう野ション率が高いというかまー早い話が平気なんです。

あまりに釣れず、ただただ潮風にあたるだけ時間は若い人には退屈なようで、先ほどコンビニで厳選して買った(ムスリムなので何かと制限がある)いくつかのビスケットをバリボリと頬張る音だけが波止場に響きます。

しばらくして彼が言うのです。彼女がナンを食べたいってうるさいんでどっかレストラン行きましょう!

ええ⁈あれだけバリボリ食べまくったのにまだ食べるの?

イエス!彼女は日本のフワフワで甘いナンにはまってて。

来日して3、4ヶ月もしてないのに最もはまった外食がフワフワのナンなのだそうです。ちなみに彼のナンはやや甘みがちではあるものの、膨らみが少なくバターも控えめ、というかプライベートでは塗らない、香ばしいインドでよく見るタイプ。

奥さんは料理の腕前は彼が一番と思っているのですが、フワフワナンは別腹だそうで。

結局、釣りは諦めて夜9時頃、大阪の僕の知人のレストランへ。そしてクリームたっぷりのほうれん草カレーとタンドールチキン一個とフワフワナンを一枚平らげました。

僕はもう要らないのでラッシー一杯ご馳走様。奥さんはカレーとチキンは合わなかったみたいですが、ナンには大満足。インドでも外食のご馳走であるナン。ただそれは数あるアラカルトと共に食べる感覚で、日本
のそれは彼らもまた単品でも食べたくなる充実感がるようです。

現代の多くの日本人は単品思考ですから、そこに合わせた食べ物が増えていくのは自然の流れですねー。

さて目下我々の最大の問題は、魚が釣れないこと。これじゃいくらベンガルはこうだ!インドではどうだ!日本はこうだ!と言ったってまったくラチがあかない。

海よ〜どうかお次はお恵みを!

神さま〜どうかご馳走を!

ぶっ飛びのおふくろ

早いもので、おふくろと同居してすでに2か月半となりました。

カミさんが前代未聞の!?専業主婦となり、カミさんとタッグを組んできた(僕は完全に悪者扱い!)おふくろが泣いて喜び、さてどうなることやらと思っていたら、今度はカミさんが参ってきた様子。

病院の中でもきわめてビジーでストイックなところで育ってきたはずのカミさんでもキレることが増えてきました。ま、基本、瞬時にキレる人なんですが、いままでおふくろにキレたのは見たことがなかったのであります。でも。

というのも、おふくろの認知症の進行が止まらないどころか、ますます加速しているのです。特にこの1か月は絶好調。

夜中は毎晩2時間に1回起きてトイレへ行くのですが、それが30分に1回のこともあり、ここのところはトイレから出るものの、台所や廊下を彷徨う、というかほぼ歩けないので呆然と立ち尽くしているのです。

カミさんは忍者みたいな体質なので、トイレのたびに起きて、シモの世話やらベッドへ連れて行ってくれたりしていたようです。とうぜん僕はすやすやと眠ったまま。

でも、昨夜はがんばって起きていたら、確かに何かがおかしい。トイレから出たのかどうかもわからず、でも何か物音が延々としているのです。カミさんが起きる前に僕はベッドを出て見に行くと、おふくろが杖をもって真っ暗な台所に立ち尽くしていました。

なに、どうしたの?

「帰れないのよ。どこにも私の家がない」

あなたの家はここですよ!今夜中だから寝よう!

「あらそうなの?私はどこで寝てるの?」

そこにベッドがあるでしょ?あそこ!

「あら、寝室があるわね。そこで寝ていいの?」

そう。先まで寝てた場所やで。今までも。

「じゃ寝るわね、おやすみ」

とまぁこんな感じ。時間感覚はもう完全になくて、いつが朝で夜かはわかっていません。明るいかくらいかは認識できますが、朝とは何か、夜とは何かがもうわからない。

こんななだから、他ももうバラバラ。

先日は僕が寝ようとしていたら物音がするので台所へ行ったら、真っ暗な中、下半身裸で突っ立っていました。一瞬ビビったけど、尋ねると、「今すぐ着替えなきゃいけない」と言ってきかない。どこかへ行くつもりだったようで。時間は夜の12時半とかそんなんです。

僕のことを親戚の子扱いにするとか、存在しない子供2人はもう定番。同じ質問を5秒おきに何十回も繰り返すとか。

で、一昨日はカミさんの杖も自分の杖だと言ってきかず、ついにカミさんが切れたのでした。

だったらもう私の杖は別においとく!お母さんのとは一切一緒に置かない!!

カミさんはここ4,5年ずっと杖生活だったし、昨年の暮れに大たい骨の大手術を受けたというのもあってまだ杖が離せないのです。(それでもかなり歩けるようになりました!)

でも、まぁキレたとて、誰も面倒を見る者はいないので、その後も頑張ってくれてます。とうぜん僕もできる限りのサポートは続けていくつもりですが、だんだん想像を超える状況もでてきてるし、カミさんがプロと言っても24時間生活を共にしてるわけで、定時や休息日がある仕事という守られた世界とはまた次元が違うのですね。

僕らにとっても未体験なことばかり。

これはケアマネの考え方も影響があります。とにかく保険の適応を欲しがる人と、できる限り家族で支え合うという家もあれば、一刻も早く施設に放り込んでもう帰ってこれなくする家もあるのだとか。

先日、ケアマネと初めて会いまして、夜間サービスや一時宿泊可能な施設もあるとのことで、今色々アレンジをしてもらっているところです。

5月にカミさんが里帰りしたいというので、なんとか実現できるように今あれこれと模索しているところ。

認知症は本当に難しいです。

シアワセやなぁと

今の僕はもしかしたら人生のピークかもしれません!

というのも2月から6人で暮らせているからです。うち3人は階下に住む兄貴家族(いちおう二世帯住宅)ですが、まー義姉とは毎日のように顔を合わすし、週末だけ帰宅するという兄貴も東京や福島の単身赴任は終えているので実質6人といっていいでしょう。

僕の人生最大の夢だった家族暮らし!嬉しいです!感謝でいっぱいです。

僕はサラリーマンの親父と主婦のおふくろの間で次男として生まれました。

両親はいろいろあって結婚式を挙げることなく東京を経由して大阪に住み着いたと聞いてます。

親父は忙しい人だったため子供の頃から家でも顔を合わせることは殆どなく、小学3年までは兄貴とおふくろと3人暮らしのようなもの。というかこの時代が幸せのマックスで( ̄▽ ̄;)

楽しみは月に一回あるかないかの外食でした。親父を見ることができる、声が聞ける、というのが嬉しくて。

緊張してしまうので自分から話しかけた記憶はありません。親父からも声をかけてくることは一度会うと一言だけ。おもいっくそ無口だったようです。

家族団欒ってどんなだろう?なんとか自分も味わいたい。そんな思いのあまり幼少期は無意識に近所の家のご飯を食べ歩く癖がありました。

中学時代はすでに食事は孤食。おふくろも忙しく働いていましたし、音楽に目覚めバンド生活を始めた兄貴とはすっかりすれ違い。

そんなだから僕はもうめちゃくちゃ友達が多くて、中でも家族より一緒にいる時間が長く、なんでも話せる親友が4人いて、彼らとはずっと一緒にいました。

高校へ行ったのは僕ともう1人だけで、他のメンバーはみんな中卒。いろいろな事情で帰る場所がないか、帰っても居場所がない子ばかりでした。今ではそういう子は少ないのかな?

でも20代になってから僕だけ考え方が違っていて、金という現実を直視し続ける彼らに対して僕は夢を追ってしまったのです(笑)

今思えば金と夢の両方が大事なわけですが、当時はまだ若くて極端に走ってしまう傾向が強くありました。

さらに僕の親父は言わば企業戦死のため、それはつまり金を選ぶ人生だけは送らないとこれまた力強くそう信じてしまったのです。

企業に勤めて過労死だからと言って金に命を捧げたわけではないのに、若い僕にはまだまだ世の中のことが冷静に俯瞰できてなくて、募り続けた勝手な思いだけで迸っていたのです。

以来、夢を追い続けて何十年?でもないか。10〜30代特に前半頃までの数知れぬ失敗が僕を助けてくれました。

僕をよく知る友人たちは、カワムラはとにかく波乱万丈だと言います。

その後は良くも悪くもなく、というか夢や希望という自分のためというのでなく、ただただ社会から求められることに応じて働く人生となりました。

今あるスパイス料理研究家という肩書きも、自分で狙ったものではなく、社会が決めてくれた職業の一つです。

仕事についてはこのように好みとはまったく関係なく今もって続いていますが、これは間違ってもやる気がないとか嫌いなこととかという意味ではなく、ただただ自分にやれることをやらせていただいているという感覚です

なので、また勝手な解釈をして誤解を振りまかないようにお願いします

ま、今はそういう読者はようやく離れていったと思うのですけど💦

こういう人生の中ですっかり諦めきっていた家族団欒というものが、今頃になって向こうからやってきたというわけです。

まーおふくろはすっかりボケていますが、まだかろうじて僕が息子であることは認識しているし、それだけで十分に幸せです。

この11年間は特にカミさんのフォロー役として家事や犬のこと、送迎などを全力でやってきていたので、いきなり家事をカミさんがしてくれて「いってらしゃい」と言われるのがものすごく変な気分です(笑)

家事をしてもらえるということ以上に、おふくろや時に兄貴家族と顔を合わせるというのがとても幸せで。

ガキの頃からの付き合いに限らず、20代に出会い親友となっていった友達もなぜか家庭に恵まれない子ばかりでした。

中には孤児や捨てられた子もいます。子を捨てる親って本当にいるんですね。びっくり。

でも彼らの多くは離婚経験があっても再びいい結婚をして、もう一度子供を作ったりしてやっぱり幸せな家庭を築いています。

人生はきっとプラマイゼロなんでしょうね。

いやはやここに来てまさかの幸せタイム。

さてこれからなんの遠慮もなくいっぱい仕事したいです!

謹賀新年2019

今年もよろしくおねがいします。

みなさんはどんな年末年始をお過ごしでしょうか?

僕の年末はずっといつも通り。仕事と家事に追われたままです😅

お勤め人の多くが29日(金)で仕事を終えているというのに、30日(土)に「カンボジアへ行きませんか⁈」などと数人の編集者にショートメールを送るという空気読めないっぷり。
返信があったのは一人だけでした(笑)

いつもとちと違うとすればカミさんが25日に入院したことくらい。でも全然本人は元気でして今回は病気じゃなく整形外科で。

前々から計画していた股関節の人工関節手術です。片方は2年前にすませていたのですが、もう片方が痛くてしょうがなかったみたいでずっと杖が手放せない状態でした。

26日に手術して31日にはなんとか歩いています。ますますターミネーターですね〜

本格退院は一月末の予定その後はリハビリが待っています。なので僕はまだお抱え運転手続行の運命。

僕は残り物を捨てられないタチでして、12月はおかげさまで多くの料理の仕事もさせていただきましたが、その分食材も多くありまして。

そこで入院中のカミさんにあれこれ作って持って行ってあげるわけです。ついでに看護師さんたちへの差し入れも。

こうして結局いつもと同じ、料理研究、家事諸々、執筆という生活です。

さて2019年の楽しみといえばまずこれ。1/5-6に梅田蔦屋書店にクラタペッパーの倉田さんがやってくることです。

倉田さんはスパイスジャーナル14やネット連載の職人味術館で密着取材させていただきました。

プノンペン本店がせっかく移転したというのに、立ち退き?かなんかで再び移転を余儀なくされているとかで正月早々大変なようです。

でも僕としては4年ぶり?3年ぶりにお会いできるのが楽しみで。

あとは14日にピーエイジバー時代にもよくライブに来てくれたコング桑田氏の芝居があること。

今は亡き中島らもさん率いるリリパットアーミーのマスコット的?存在で、声優、パーソナリティ、舞台俳優として大きな舞台でも活躍中です。

作者はいつも珠玉のストーリーを生み出すわかぎえふさん。役者との噛み合わせが毎度絶妙で楽しみです。

仕事もおかげさまで忙しくさせてもらえそうな感じです。というか2019年は今までのようにべったりと炊事係をやってる場合じゃないというか。

プライベートごとですが、2月には居を今の吹田から西宮の山手へ移します。おふくろの認知症がどんどん進んでまして💦

カミさんもいよいよターミネーターいや丈夫になるはずなので、今年からは仕事を退職して家事というかおふくろのサポーターに。

とこのように今年はますます慌ただしい1年になることは間違いありません。

まーそんなことで相変わらず反復横跳びの試練が続きますが、今年も懲りずにお付き合いいただけると幸いです。

昨年は僕の周りではご不幸があった方が多くいらっしゃいました。特にそういう方々にはいいことがたくさんありますように!!

地元の嬉しい華の料理屋『心根』

まずもって店情報をブログなどに書かない僕ですが、今回はちょっと嬉しすぎるので。

僕の地元は大阪北部郊外。豊中市や箕面市、吹田市、茨木市など7市を北摂と呼び、中でも高槻市は最も山林面積が広い(約48パーセント)上に、繁華街も大きく活気に満ちており、鉄道も新快速や特急も止まるような超便利なところなのです。

この街の北部、京都亀岡との境に位置する明神ケ岳(標高約523m)の中腹に、今年12月『心根』という料理屋ができました。

店主の名は片山城さん。元は枚方山手で店を開き、縁あってこの地、樫田集落に移転されました。40代前半のバリバリの盛りです。

開業前の片山さんについて、同じ樫田地区の熱い人たち3人を取材した記事もありますので、ぜひ読んでみてください。→あまから手帖2018年5月号

レセプションに続き、昨日は本番営業時間に客として遊びに行ってきました。

枚方時代からお噂は聞いていたのですが、なかなか行くことができず、ようやくのフルコースです。

料理は次の通り。

濃厚なお茶で始まり、まさかの前菜ご飯


うっすらふんわりの海苔、鯖、銀杏、ブロッコリー味噌漬けなど


シマアジ


まったりねっとりの芋


香ばしい鹿肉


隣家のしいたけ

Photo by Midori Sawano

セコガニと木の芽ソース、ビストロガノミー的ムース


猪肉とレア削り節


綺麗な菓子と茶




以上、一人15000円(税別)。

外はしっとりと雨が降っており、屋根が黒光りしていい味わいでした。

料理を一つ一つ噛み締めていると、片山さんの持つ華は森が舞台なんだなぁとつくづく。

大げさな話じゃなく、ただすぐそこに佇む木々や草花の息が器の中から聞こえてきそうな感じ。

今年5月の取材時にはアマゴなど河川の生き物も作っていただきました。今回は鹿肉やセコ蟹がお出まし。木の芽のソースやガストロノミー的ムースも見え隠れし、和の域を超えつつ、でしゃばらない程度の斬新さも。

季節感、自然の恵み、ご縁、といった今ではなかなか目には見えにくいものがびっちりと詰まっていました。

普通は大阪キタや京都でやるかという感じですが、片山さんはあえて自然の真ん中へ飛び込んでいきました。

高槻市街から車で約40分。JR高槻駅からタクシーだと5000円くらい。店から2キロあまりの場所に市バス樫田校前という停留所があり1日9便出ています。

ふと、森を見たくなったら車で3、40分で行ける、というのは北摂共通の感覚。

一帯は平安時代にはすでに集落が存在していたと言われ、明神ケ岳の樫船神社や通称城山の臨済宗妙心寺派桂香寺、すぐそばに神宮寺など数々の寺社仏閣が鎮守。

片山さんがきずく森の息吹。単なるグルメとは一線を画した世界の誕生です。自然あってのそれは古の蘇りとも言えるかもしれませんね。

現在この一帯には他にも面白い人たちがいろいろやり出していて、じんわりと盛り上がっています。

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