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昨日は久しぶりの松阪の友人とインド料理店へ

どれだけ振りか、久しぶり過ぎて忘れました。

その友人は松阪で服屋さんとカフェをやっていて、こんなご時世でも忙しくやってるようです。さすがやなぁ。

個人経営の店がばっさばっさと潰れていく昨今。個人の主張が強いと言われる大阪の市内でも、個人経営の店は減っているように感じます。

僕が住んでいる北摂でも同じく。

そんな中で、希少な個人経営の店があり、なんとここには駐車場もあるからうれしい。

店は『PUJA』吹田店です。

夜行ったのですが、二人とも酒を扱う店をやっていた(彼は現役)にもかかわらず、酒なし。車ですから。

で、とにかく食う。

サモサ、チョウメンというネパールや北インドにある中華やきそば、店からのギフトで豚肉と筍のチーズグリル、マライティッカ(白いタンドリーチキン。ヨーグルトや牛乳の脂肪でマリネしている)、キーママサラ、ナン一枚。

こちらはナンがおいしいと人気の店。うるさい人たちがナンは本場じゃない、みたいなこと言ってますけどそんなことはないですよ。ナン好きの人ご安心ください。ただ、ナンを食べたことがないインド人ネパール人は、けっこう多いのは事実ですが。でもみんな憧れてる、または好き、または好きだけどお腹いっぱいになるので食べようがない、というだけ。

やっぱりいいですね。友人というのは。

コロナや家族のことや、今時50代の話で盛り上がりました。

今や何でもSNSや雑誌や本やに出てないとあかんみたいな雰囲気らしいです。まったく関係ないのにね。

友人は一所懸命にコロナによって今後も激変していく、と語っていましたが、僕はコロナの前も最中も今も生活様式がまったくと言っていいくらい変わってないです。いいのか悪いのか。ちょっと不安になるくらい。

でもそんな不安も料理がおいしいと全部瞬時に吹き飛びます。

店の人たちとも話しまくってさらに吹き飛ぶ。

あ~楽しかった。

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ぼちぼちとロケが増えてきてますね~

コロナ禍による緊急事態が解除されて、大阪では6月1日からぼちぼちとみんな動き出していますね。

僕の周辺も同様です。皆さんのところはどうでしょうか。

僕はほぼ連日、京阪神を行ったり来たり。他府県への越境はまだ、とはいうものの、京阪神地区で通勤通学レベルで京阪神を行き来している人はおそらく数百万人はいると思います。

そうでなくとも昼間人口比率が東京とさほど変わらないか、下手するとそれ以上もある街なのだから。特に大阪は大阪市内在住人口率はかなり低く、全人口の3割程度しか住んでいません。7割は市外に住んでいるという事実。東京は逆に7割が23区内に住んでいるから、この感覚は東京の人間にはちょっとわかりづらいと思います。

昨日は土曜日でしたけど、大阪~阪急梅田の間はもう完全に平常状態と言っていいでしょう。僕は昼過ぎと夕方5時半頃歩いていましたが、逆にコロナ禍緊急事態がもう信じられないくらい、人々は溢れ、声も大きいし、ソーシャルディスタンスなんてほぼないに等しい。

これで大阪から新しくコロナ感染者が出てきていない、というのは絶対あり得ないでしょうし、それだけちゃんと検査できていない、ということの証拠だと思います。

でも、たぶん、良くも悪くもこのままいくでんしょうね、この街は。昔から東京のように政治や中央活動とはかなり距離があるから。

吉村市長に信頼感があるのは、御上から見ろしていないからだと思います。彼もまた市民、府民のひとりで、誰よりもプレッシャーと責任を背負ってやってくれている、と多くの人がそう感じています。大阪は本当いい意味でも悪い意味でも、オール庶民主義なんですよ。だから危機感はないわけじゃないけど頭で動かない。あの人も頑張ってるのだから自分も頑張ろう、という感覚かと。

さて、僕は明日は神戸へ行きます。三宮まで。先日はロケハンに行き、先方さんと二時間たっぷりとお話しして、明日はカメラマン、先方お二人とどっぷりと濃厚接触です。

おまけに家のカミさんは看護師にカムバックしています。めちゃんこリスキーですね。おふくろを特養に預かってもらっての生活です。もし僕らが感染してしまうと当然おふくろも帰ってこれなくなります。

いろんな人のおかげで、ぎりぎりのところでなんとかやれてます。感謝してます、ありがとうございます。

 

カワムラケンジオリジナルの6つの屋号とSNSはこちらです!(盗作、剽窃、模倣にご注意を)

前回も少し書きましたが、あまりにも悪質なので、ここで一度明らかにしておきたいと思います。

僕カワムラケンジが狙われるようにして、盗作、剽窃され続けていることをご存じでしょうか?

そのまま模倣せずとも、実に紛らわしい表現を使うものもあります。

こんなことは自分のブログで書きたくもない、とずっと思ってきましたが、せっかくのコロナ禍騒動での家自粛期間で時間はあるし、先日も間違って買い物した方、また、お店へ行ってきました!(今の僕はお店をやっていません)と声をかけてこられた方、がいたので明らかにしておこうと思った次第です。

いくつもありますが、ここに代表的なものを列記しておきたいと思います。みなさま、騙されないように、いま一度ご注意お願いします。

 

カワムラケンジのオリジナル 6つの代表的なリスト

(1)『スパイス10割石臼自家製粉カレー P AGE HILL』・・・1997年、大阪・箕面の古巣「P AGE BAR」を間借り開業。1998年2月頃に終了。

(2)『THALI』(ターリー)・・・1998年夏、三重・松阪で独立開業。店名はインドの定食を指す。それまでインド料理と言えばカレーライスばかりだったことに対して、新たな提案をしたいという思いでこの屋号とした。2001年1月にクローズ。その後、大阪へ戻る。

(3)『スパイス料理研究所 club THALI』・・・2007年、大阪・箕面に開設。書斎とキッチンを併設したことでこの名前を思いつく。当時は料理研究業と、撮影用の調理をする仕事と、著述業をしていた(今も同じか!)。近隣住人の要望により、毎週日用のみ食堂として開放。飲食店営業と著述業のけじめをつけるために、あくまで著述業がメインであることから、屋号を『club THALI』とした。「club」は店以外での活動を意味して。2008年初夏にクローズ。

(4)『club THALI online』・・・2008年、上記『スパイス料理研究所club THALI』の日曜限定食堂に来店されるお客様のご要望により開設したオンラインショップ。スパイスキットやガラムマサラ、チャートマサラ、チャイセットなどは、1998年『THALI』のお客様たちにより育てられた商品で、オンラインショップは今なこれらを中心に販売中。

(5)『Spice Journal』・・・2010年3月創刊。当初は季刊、3年目より年3回刊、スパイス付録付き、定期購読システム、A4判型、中綴じ後に無線綴じ。スパイスのみをテーマとし、旅、レシピ、薬学、栄養、ヨーガ、漫画、イラスト、人、メニュー、農、スパイスそのもの、など多岐に渡り、スパイスカルチャーを印刷物で表現。また、すべてを英語バイリンガルとした。手売りで定期購読を募ることから始め、半年後にラジオで取り上げられたことから一気に名が知れ渡り、何軒かの書店でも扱ってくれることに。テーマをスパイスに絞り込んだこと、英語バイリンガルにしたこと、毎号内容の違うスパイス(ブレンドやオーダーメイド)を付録としたこと、などなど各方面から、日本初、世界初と称賛を受けました。

(6)『カワムラケンジ』・・・(笑)2018年夏に幻冬舎より「おいしい&ヘルシー!はじめてのスパイスブック」という本の刊行に合わせて、販促活動の一つとしてSNSを使う頻度が増えたのですが、それとまったく同時期に、ある特定の「カワムラケンジ」同姓同名のアカウントが一気に露出しだしました。もちろん日本に同姓同名はいくらでもいると思いますが、カタカタ表記で、しかも僕の関連するところにへばりついて現れる。これは出版社も確認していて、あるSNS企業に相談したのですが、アカウント凍結は不可能と想像通りの傍観状態で、結局放置以外に手はありませんでした。そしてもっと気持ち悪いのが、販促活動が落ち着き、SNSなどで拙著の話題が出る頻度が減った1年後くらいに、その怪しいアカウントの更新もぴたっと止まったことです。そりゃ、いくらでも逃れようはあります。でも、密着されていたことは明らかです。僕の本業は、スパイス料理研究家、物書きです。

 

僕カワムラケンジはこんな顔!(笑)この顔がそのお店にありましたか!?

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僕カワムラケンジのモットー

A.あくまで経験してきたことの中で生まれたこと、気づいたことを題材にしています。

B.オリジナル志向。人のモノやアイデアをパクろうと思ったことがない。興味がないのではなく、体質的に物事を研究してしまうタイプなのでそうなります。でも結果的には既出の結論と同じ結論に至る可能性はありますし、その時にその事実を知りえない、ということはありえるでしょう。

C.バンドワゴンを作らない、乗らない。バンドワゴンとは昔からの広告手法で、かつては企業間でのやりあいでしたが、最近は情報過多時代だからか個人がそういうことを平気でやる時代になりました。要するに複数人が群れて騒ぐと、他の人もどんどん吸い寄せられていく現象のことです。集団化による孤独化・端数化の仕分けをさせる、とも言えます。心理学の乱用です。日本人は特に弱いといわれます。乗り遅れたら干されてしまう、独りぼっちなってしまう、仲間外れになってしまう、という恐怖感を煽った手法です。バンドワゴンの燃料は線引きが必ずあることです。狡猾な人は線引きする必要のないところに、こっそりと線引きを作るのが巧みです。線の向こうは悪みたいすることも上手です。どちらもでない、そこには本来線は存在しなかった、そんないい意味での緩さが大事だと僕は常々思っています。

ネット時代になって、言葉の盗用や乗っかりが急増しているそうですが、それと同時に証拠を揃えようがないやり方も増えているらしいです。

本当に悪質なやり方だと思います。

この10~20年で、捏造や盗作、のっかり、悪質な正当化などなど、質の悪い日本人も多くいるのだな、ということを思い知りました。無名有名にかかわらず、その似たものは本当に僕カワムラケンジが創り出したものか!?十分にお気を付けください。

僕一人が狙われているだけならまだしも、一番の問題は、お客さんが騙されてしまっていることです。多くの方から、これは本当ですか?このあいだお店に行きました!あの本素敵です!などと声が届くたびに胸が痛くなります。

それって偽物ですよ、と言うと、みなさん顔が硬直します。

なぜ、僕なんかの物真似をするのか、と思いますが、僕はそういうことに頓着がなく、その上貧乏暇なしできたから隙だらけなんでしょうね。

最初のころは、ここまで真似され続けるというのは、それほど自分がやってきたことが魅力的に見えるんだろう、などと周囲に行っていたのですが、ここまでいろんな人から言われるということは、やはり手を打つしかない。

これ以上続くようなら法的措置に踏み切ろうと思っています。面倒だけど、騙されてしまうお客さんのためにやらざるを得ない。

ひとまずは、みなさま、それに飛びつく前にいま一度ご確認をお願いします。

捏造や盗作をする人というのは極めて巧妙です。だいたいそういう人というのは、かなり印象がよく、話も言葉使いも巧い。だからどんな難関も切り抜けていけるし、人をかき分け、時にひとを上手に抱き込み、のし上がっていくのです。僕くらいじゃないですか!?今なお貧乏暇なしは(笑)

現在の僕から言える見極めポイントは、先述の6つの項目です。特に年号など気を付けてみておいてください。

僕についてのニュースは、カワムラケンジのパーソナルサイトが確実です。そして、必ずこのブログやSNSでも書くようにします。メルマガはスパイが潜り込んでいることがわかっているので、残念ながら最近は更新しておりません。

このブログやSNSでも、逐一情報を抜かれてしまっていると思われますが、それでもお客さんのためにこのまま続けます。どのアカウントも大切な情報はできるだけ共有していますので、どれか一つだけでもけっこうですので、ブックマークなど登録をお願いします。SNSでも紛らわしいアカウントがあるようです。じゅうぶんにお気を付けください。(あ~大変な世の中!)

 

カワムラケンジのパーソナルサイト「Kawamura Kenji」

カワムラケンジのSNS

1.カワムラケンジ プライベートのツイッター「カワムラケンジ(Spicejournal)」

2.スパイスジャーナルの公式ツイッター「スパイスジャーナルのカワムラケンジ」

3.カワムラケンジ プライベートのFB「河村 研二」

4.スパイスジャーナルのFB「Spice Journal」

5.カワムラケンジのインスタグラム「kenji.kawamura_spicejournal」

1993年、僕の店は燃えました。

 新型コロナ感染症による緊急事態宣言により、テイクアウトで応戦されている店、休業を余儀なくされている店の方々に読んでいただければ幸いです。

 みなさま、お疲れ様です。僕は16歳から29歳まで飲食の現場一筋で生きてまいりました。好き嫌いとかではなく、家庭の事情もあって高校を卒業するので精一杯の環境で育ちまして、飲食業以外の選択肢はなかった、というのが正しい理由です。

 ついては、ちっぽけな男ですが、それ相応に命がけでやってまいりました。そのうちのひとつのエピソードをここに書き記したいと思います。今となっては自分でも笑える話ばかり。ぜひB級ドラマを観る感覚でご覧いただければと思います。

 予期せぬことで生まれて初めて自分の店を開業したのが1991年10月10日のことでした。26歳の時です。場所は大阪北部郊外の箕面。外側は全面トタン張り、15坪ほど、創作料理と音楽も楽しめるやんちゃなキャッシュオンバー『P AGE BAR』と言います。最初はまったく客が来なかったんですが、開業して1年半がたった頃には、店は浮き沈みしながらもなんとか客数は増えていきました。立地は最悪と言われていましたが、それでも近くには女子大、スッチーやナースの独身寮なんかもあったようです。さらに、当時の箕面には、500円均一、かつ、アホな感じの飲み屋も皆無でした。店内の壁は赤や青のペンキで意味不明の柄を毎月塗り替え、カウンターの上はブラックライト、他は調光可能のスポットライト。僕はいつも黒ジャケ姿で、イベントのある日は、なぜだかノーパンで興奮気味でした。週末はDJのパーティ。店はおんぼろなので、音は2車線の道を隔てた向かいのマンションまで反響しまくり。

 ナンパ目的の変な客も増えていきます。筋肉自慢の土建屋の兄ちゃん、注射器を見せびらかすアル中の内科医など。女性も負けてません。パンツ丸見えの極ミニ自慢の女狩人、深夜に店先で待ち伏せする人妻など。今考えると漫画みたいなキャラばかりです。

 時に手に負えない事件も起こります。酒の飲み過ぎで血を吐いて痙攣する若い女とか、因縁のグループがぶつかって20人くらいの大乱闘になるとか、トイレで不明の注射針を発見したり、男に妊娠させられたと騒ぎだす女とか、もうメチャメチャです。そんなだから、ある時から警察が近所で張り込むことも多々ありました。

 当然、普通の客は足が遠のきます。でもいい筋のお客さんはごくわずか。それだけでは到底やっていけません。そんなわけで何かに憑かれたかのように、ひたすらアホなイベントをやり続けていたわけです。

 こんな毎日を送っているうちに僕は痩せていき、気がつけば酒に酔わない身体になっていました。気分が高揚しないため、客を楽しませることができない。そんな焦りが膨らむほど、様々な方法で手を尽くします。

 が、無理して高揚させた分、バランスを崩して今度は不眠性になってしまいました。間違いなく自律神経の失調です。共感してくださる水業界者の方も多いことでしょう。

 当時の僕は自分の癒し方を知りません。いくら女の人たちと関係を持っても、常に何かが満たされない。この屈折した状態はやがて自滅を迎えました。一人でいるときは、ただただ寝むたいか、しょんぼりと鬱になってしまうんです。

 そのうち、店に立っても体調も気分も乗らず、身体はなぜか冷え、時に震えが襲います。こうして何もかもが嫌になってネガティブの極致に陥っていくのです。度数のきついバーボンとビール、そして精神安定剤を一気飲みしても言うことのきかない身体になっていました。

 そんなある日、店が燃えてしまったのです。原因はタバコの失火でした。本当なら失火罪のはずですが、僕の酷い落ち込み様とそのいたしかたない状況から、関係者が寛大に処理してくれたのだと思っています。

 その日、僕は朝まで客と馬鹿騒ぎを繰り返し、いつものように記憶を消失。早朝の6時頃、布団で意識朦朧としていたところに一本の電話が鳴りました。
「もしもし、カワムラはん?落ち着いて聞いてよ、わし、箕面消防署のもんですけど、君の店が燃えたんよ。今すぐでてこれるかな?」
 僕はいたずら電話と思い「われ、しばくど。アホ、ボケ!」と言いたい放題。しかし、それは本物の消防士からの電話だったのです。

 フラフラのまま慌てて車で店に向かうと、そのマンション一帯は赤いサイレンが入り乱れ、アメリカ映画で見るような黄色くて太いテープがぐるりと張られていました。消防車は5,6台、いや7,8台は来ていたでしょうか。前の道路は前後100mほどを封鎖。パジャマにサンダル姿の人々が表から店を見上げています。焦げた匂いのする蒸気が店から溢れ、警察や消防士が右往左往していました。

 僕は車を歩道に置き、人ごみを掻き分けテープを破るようにしてマンションの二階へ上っていきました。そこに電話をかけてきた消防士が待っていて、いきなり僕の前に立ちはだかり、隣に回り込んで肩を抱きこみました。

「お、ようきてくれたな。いいか、中を見る前によく聞いてくれるか。わしらは火消しのプロやさかい、最も災難にならん方法で解決したからな。ドアだけは潰させてもらったけど安心し。大惨事にはならんかった、大丈夫やから。兄ちゃんは幸せもんやぞ」と力説するその笑顔が逆に恐怖を増長させました。きっとこれは、災難だったに違いない。

 で、その予感は当たっていました。恐る恐る店の中に足を踏み入れてみると、そこはまさに地獄の暗黒。天井からボタボタと滴り落ちる水の音が今でも記憶に残っています。そして、床上50センチくらいのところまでガムを引っ張ったように垂れ下がる数々のスポットライト。壁に貼っていた自慢のレッドツェッペリンのレコードはシャンプーハットの様に波打っています。ボトルはネジ型にくねり、床は食器などの残骸で歩くとグシャグシャと鈍い音。

 僕は唖然として、瓦礫の上でしゃがみこんでしまいました。すぐさま共にしゃがんでくれた消防士のおっちゃんが、肩を抱きながらこう言います。

「ええか?何度も言うで、君はかなりラッキーや。階下のカラオケ屋には漏れないように水をかけたつもりや。普通はそんなもんに遠慮はせーへんで。わしらでほんまよかったな。もし漏れていてもそんな大したことはないはず。どっさりと漏れたら大変な損害賠償になるからな」

 そういって、火元と思われる場所へ僕を連れていく。
「ほんまはもうちょいで大惨事やったんやぞ。ここ、火元を見てみ。ガス管の50センチ手前や。おそらくここにあったゴミ箱か何かから火が出て、すぐその上のバックカウンターにあったテレビに引火。それが落ちてどかーんとなったと思われるねんけど、なぜかガス管には影響がなかった。万が一、このガス管に飛び火したらマンション丸ごとイってしもてた。紙一重で君の人生は助かったんやで」

 大惨事を免れることができたのは、この日の早朝に突然季節外れの大きな落雷があって、それで目をさましたマンションの住人が煙臭いことに気付き消防署に連絡してくれたからでした。その偶然がなければ、5階建てのビルは全焼したかもしれません。

 その後、僕は朦朧としたまま消防署、警察署で取調べを受けたのでした。担当していただいた消防士さんがやってきて「兄ちゃんはほんまツイてるで。火というものはな、時に科学では割り切れんことがあるんや。いくら調べてもこんなに燃えるわけがないということがあれば、逆に不思議なくらい被害が少ないこともある。不思議な世界や。兄ちゃんは守られとる。池田(隣町)に〇〇分社というええ神社があるからそこへ行ってお祓いでも申し込んできたらええわ」と思いもよらぬアドバイスもいただいたのでした。

 翌日から、僕は狂ったように店を磨きました。洗剤を買い込み、カウンター、壁、トイレ…。くねったボトルやレコード、CDなどを掃き出し、かろうじて使えそうなものをまた磨く。もちろん、そんな作業では再建は不可能です。でも、店は自分のすべて、我が子の様なものだったことに気付きました。煤だらけになりながら何度も何度も涙して「ごめんな、ごめんな」とつぶやきました。

 そんな日々の中でも、こんな田舎町の15坪というのに家賃31万5千円は払っていかなければなりません。生きていくためになにができるのか。考えても何も浮かばないので、とりあえず屋台を始めました。最初は歩道に出て、ぬるい缶ビールとミックスナッツを並べます。

 するとすぐにまた警察が来て、公共の場ではできない旨の注意を受け、今度は店先のテラスに並べます。が、いくら近所の酒屋で冷えたビールを買ってきたと言っても、中途半端にぬるくなってしまいます。そこで、ある日、産業廃棄を職業とする客が中古の屋外用冷蔵庫をプレゼントしてくれたのでした。

 これが、ちょっと音はうるさいけどまだ生きてました。水をはってビールやジュースをたんまりと浸け込み、1本300円で販売。やがて、音がないなんてありえない、と店でよくライブをやってくれていた人たちが、ギターを持って歌いに来るようになりました。さらに常連の女の人たちが、洗剤や雑巾、食べ物を持ってきてくれたり。中には弁当を持ってきてくれる人もいました。

 当時の僕は一人暮らし。毎朝5時頃に家に帰り、陽が昇ると同時に眠りにつき、夕方から買い物に行って店を開けるというルーティーン。営業中は酒と精神不安定のためか食欲は殆どなかったものが、外の空気を吸っていくうちに徐々に食欲が再燃しだしたのです。

 僕はなんだか恥ずかしくなりました。それまでの僕は常に疑心暗鬼だったからです。でも、いざとなると人はこんなにも優しいなんて。今の自分がこうして生きていられるのは、みんなのおかげだったのかと痛感しました。

 店はどれだけ磨いても殆ど意味はないのですが、それでも毎日磨きに行きました。そして冷蔵庫の電源を入れて、缶ビールを冷やしておく。段ボールに「OPEN」と書いて。

 半月ほどがたった頃、家主さんから話がありました。僕はそれまで保険の存在すら知らず、毎日を必死で走ってきました。が、家主が巧く融通してくださって、凡その費用を持ってもらえることになったのです。また、再建のための工事の目途もつきます。この際だから、前のような汚い落書きやペイントだらけの店内ではなく、ちゃんと普通のお客さんを呼べるような綺麗なものにしなさい、とアドバイスもいただき、僕は二つ返事。

 1ヵ月後には、ようやく店の一部が生き返りだします。それがターンテーブルでした。生き残ったレコード、ロバータフラックのユーヴ・ガット・フレンドをかけます。真っ黒な店内に音がもどったその瞬間、涙が溢れました。一人では何もできないことを思い知ります。

 燃えてから2か月後、店の再建工事が始まり、約1か月をかけて完成しました。今度は2枚扉の入り口です。全体を防音材で固め、ちゃんと火災保険にも入りました。そして以前に消防士から教えてもらった神社に御祓いもしてもらいます。当時の我が店のスタッフ二人も参加しました。鼻にピアス、腕にタトゥーだらけの金髪のアホ男と、ムチムチボディの女子スタッフです。彼らにも清めた塩を溶かした水と白い札がついた棒が振られます。店の隅にはご守護のお守りが。「お祓いしたからもう大丈夫なのではなく、これからは店を丁寧に大切にしてください。そうすれば神のサポートがあると思います」という一言がとても印象的だった。

 こうして、店は再び生まれ変わったのです。再開したのが意味じくも開業日と同じ10月10日でした。

 店というものは、目には見えない色んな力によって生きている、ということを思い知った出来事でした。

ブログ復活記念!マスクを語る!!

えらく意気込んだ表題で失礼おば!だって久しぶりなんだも~ん、ブログを書くの。

気が付けば2か月以上!いや怖い!!時間が経つのが本当に早くなる一方です。そうか、グチってる場合じゃないですね!

昨今のコロナ禍騒動の中で、なにらや政府のマスク配布がめちゃめちゃ不評なんだそうですね。ネットニュースで見たので知りました。たぶん僕はいつも浦島太郎だから、かなり遅れていますよ。たぶんこれ書いてる時点ではとっくに風化している可能性大!

知り合いも言ってました。あんな政策笑っちゃうよね~。情けない政府だ。なめてるのか国民を。などなど。

でもね、正直我が家では喜んでしまいました。うちは80歳を超したおふくろと怖い怖いカミさんの3人+ワンちゃん家族で、誰一人マスクを持っていません。

あおふくろは日々デイサービスだステイだと忙しく、カミさんもそのサポートに追われ、足腰がさほど強くはないほうで、駅前に買い物行くことすら容易ではありません。なので、日々の買い物の9割以上は僕の仕事なのですが、しばしばスーパーなどで尋ねておりましたが、どこも欠品。

友人に聞くと、その家ではたまたま前から買いだめしておいたとか、友人はスーパー勤務なので職場からマスクが支給されるらしく、おこぼれを1週間分と言ってくれました。でも、あまり甘えると申し訳ないし。

その後も仕事の合間を縫ってコンビニやホームセンター、薬局などを廻りますが、どこもなし。で、知人の飲食店経営者に尋ねると、そこはネットから購入したようです。値段は教えてくれなかったですが、ネットで1箱(50枚入り)5000円と出ていたのでそれを聞くと、ま、そんなもんやで、と。

カミさんに言うと、う~ん高すぎるな、ちょっと様子を見てみよう。となり、彼女は元看護師で、東京の旧友に確認したら、都内ではすでに医療従事者の間でもマスク不足で大変神経質な状況になっているとか。親戚が住む横浜でも全く入手困難で、もうお手上げでした。

コロナは年寄りがなると致命的だ、というニュースが多く、かなり心配な状況でした。よし、こうなったら手ぬぐいかなんかで作ろう!ということになった瞬間、沖縄の紀々さんという哲学家?の方から連絡いただいて、「うちの叔母が手作りしているから送ります」とまさかまさかの神の声。

ばんざい!バンザイ!ヽ(^。^)ノ

世間ではどうなっていたか知りませんが、もう僕は嬉しく嬉しくて。本気で惚れましたよ、紀々さん。沖縄は首里城が燃えちゃってそれどこじゃないはず。ましてや紀々さんはお忙しい方でそんな人の心配なんてしている暇はないはず。最近じゃGW旅行?コロナ疎開?かなんかで6万人以上が沖縄を目指そうとしている状況下で、なんもできない自分が歯がゆいです。

そんな紀々さんの気持ちが届いた直後くらいに、緊急事態宣言が。大阪がなると兵庫も同調します。ある日突然、ステイ先から家へ戻るならもう入れない、施設にいるならもう家へ戻れない、どちらにしますか?と言われ、うちは施設を選びました。

ニュースでは施設の集団感染が騒がれていた時ですごく心配でしたが、ちょうどこの時、カミさんがおふくろのサポートをできる精神状態ではなく、それが一番の問題となっていた時でもあって、カミさんがそのまま施設で預かってくださいと施設の方に言ってしまいました。

僕としては、確かに家にいるよりかは施設の方がリスクは少ない、と思いましたが、おふくろはこの時すでに何週間か施設に入っていたので、帰れると期待していたら帰れなくなって、きっとべそかいているだろうなとちょっと心配。

さらに、おふくろは認知症でもう電話をかけることができませんし、施設にもいろいろあって容易には電話はできません。しかたがない。神にいるのほかなし、という状況でした。

こうしてせっかくいただいたマスクだったけど、おふくろに使ってあげる機会はなくなってしまったのです。紀々さんごめんなさい。

でも、僕はうれしい。こんな風に思ってくれる人が世の中にいるのだということ。僕も何かできることがあればと思います。そう思うことができている、ということ自体がとても幸せなことですね。

マスクはいまだに購入できていません。みんないったいどうやって手に入れているのでしょうか???

政府から支給されると聞いて嬉しさ以外何もありませんでした。まだ届いてないけどね~

 

 

ふふ、ディレイですね

2020年のテーマはインターネット!ブログ!SNSをザクザクと書く‼︎なーんてことここに書きましたが、ハハハ、まったく実現できそうにありません(*゚▽゚*)

年が明けて、1月はなんとなくいい感じでスタートしたのですが、2月に差し掛かる頃に忙しさMAX‼︎

さらに家庭でもいろいろあって、とにかくおふくろのステイだデイだケアマネだ+ステイ中に熱を出してしまって翌日急きょ迎えに行って、日曜だったから病院探すのが手こずって、ようやく見つけて連れてったら明日もう一度検査しようってことになって。

結局おふくろは単なる風邪で、処方された薬を飲むことで快方に向かったわけですが、今度はカミさんが風邪をひいて。でもまーなんとか僕は仕事に行けるかー!となってあちこち走り回っているうちに今度は僕が風邪をひいて。

あれよあれよとしているうちに、昨年から続いているある企画の入稿作業に追われて、同時に数本の企画を打ち合わせつつ、他の仕事の準備もはじめつつ、愛知出張かと思うと急きょ東京出張も入り、前の企画の具現化がボチボチ始まったかと思うと今度は出張時の仕事が先だということでそちらから始めつつ。

ヘイメーン!ブログなんて書いてる場合じゃない!と仕事関係者からそう思われることは間違いないのであります。そんな暇あったらうちの仕事はよせーワレー!というやつですね。

でもそんな時ほど余計なことをしたくなるのが、夏休みの最後の日まで宿題は水に流して遊ぶ派の僕でして。ッヘン!絶対に良い子は真似しちゃいけない悪い男です。

となると頭に浮かぶのがバッドボーイ♪バッドボーイ♬ワチゴナドゥー♪というフレーズっすね。そうだ!今やってる⁉︎

こりゃ見とかな男がすたるでーと昨日は思わず手を止めて、映画「バッドボーイズ・フォーライフ」を鑑賞し、ハートがブルブル涙したわけであります。

やっぱブラックピープルには昔からホント強い影響を受けるんですよね。10代の頃から黒人音楽にハマり、20代では黒人ダンサーと共にあちこちのクラブでDJの真似事なんかをやり、黒人映画、特にスパイクリーにはかなり影響され、その後はアメリカ黒人から徐々に南アジアの料理にハマり、もう他人事じゃなくなってしまうんです。

なんでこんなにハートがブルルんだろうとあまりに不思議で、昔そんな理由をスピリチュアルな人に相談したことがあるくらい。

いやー楽しかったな〜

実は今日日曜日も一応は頑張ってこうして机に向かってるんですよ。パソコン立ち上げて。来週の撮影のレシピ考えてます。でもまーブログたらたら(笑)

いやはや今日は1日雨ですね。そーかしょーがないや。今6時前。そろそろ帰って飯食ってAmazonプライムでも観て寝るか❗️

みなさん!風邪を引かないで身体に気を付けてくださいね~!またブログでおあいしましょー!

生まれて初めて他人の娘の成人を嬉しく思いました。

僕は時々、相当に冷たい男だな~と思うことがあります。自慢になりませんね(笑)

というのもよくあるじゃないですか。人の子供を見て、可愛いね~!とか、大きくなったね~!とかって、声を張り上げて言う人が。

ま、これは小さな子供か、せいぜい大学生までくらいの年齢という前提ですが。

僕は今まで他所の子供を見てもめったに、感動することがありませんでした。文字に書くとかなり危ない奴に見えなくもない!

でも本音です。というのも、そういう感覚って親とかその親戚くらいしかないんじゃないかな~と思ってしまうんです。

それが赤ちゃんだったら別ですよ。赤ちゃんはやっぱりみんな可愛すぎる。でも、小学生くらいからはまず何も感じない。人格が形成されだすとそれはもう大人みたいなもんで、彼、彼女、という感覚になってしまうのです。

だけど、このあいだFBで旧友の次女の写真を見たとき、なんとも言葉では表現できない感動がこみ上げました。

その旧友は、中学の同級生でクラブも同じ水泳部。大人になってから、彼はグラフィックデザイナーになり、僕は飲食の現場を紆余曲折しながらライター・編集業に就き、何度か一緒に仕事をしたことがあります。

が、ある頃、ささいなことで物別れとなり、以来疎遠に。

彼には二人の娘さんがいて、上の子も個性的でかわいいのですが、次女はもっとかわいい(笑)

勝手な言い方をすると、相性がいいんだと思います。はい、勝手な言い方ですね。でも間違いないです。勘違い多めだけど。

彼女はとても優しくて、思いやりがあって。そのうえ、自分をちゃんと持っている。直感だけど、たぶんいい絵を描きますよ、あの娘は。

嘘のない純粋な目をしていて、常に物事や人をまっすぐに見ているような感じでした。僕が知っているのは、彼女が小学校高学年くらいまでじゃないかな。

以降は旧友と接点がなくなってしまったので会うことはなくなりました。

今の時代、SNSなんて便利すぎるものがあるから、自分の好き嫌いに関係なく、その人の発する情報を目にする機会が多くありますね。

僕は彼のダイアリーを意識してみることはまずありません。というか、誰のダイアリーもほとんど見ない。日々、一度開けて上位5ページくらいのダイアリーに「いいね」をただ押すだけ。

頭の中がいっつも忙しいので、ついそうなってしまう。

でも、一昨日は違いました。なぜか、いいね、を押したことのない彼のダイアリーが上のほうに出てて、そこに次女の成人式の晴れ着姿の写真が何枚も出てる。

とてもいい顔して写ってるんです、これが。思わず「いいね」。

生まれて初めて他人の子供の写真を見て胸が熱くなりました。うわぁ、大きくなったな。可愛くなったな。綺麗になったな。と。

同時に旧友に対しても、よくここまで頑張ったな、よかったな、と思いました。そして、彼女の幸せを心から祈りました。

とにかく元気で幸せになれ、と。

この感じは自分の家族に思うのと全く同じ感じです。不思議ですね。なんなんでしょーこの感覚。

もう何年も連絡とってないですけど、酒でも送ってやろうかな!娘と一緒に飲んでくれたら嬉しい!

2020 謹賀新年!

みなさん、あけましておめでとうございます!

本年もどうぞよろしくお願いします。

今年のテーマは「インターネット!」。早い話がこのブログももっともっと頻繁に更新していこうと。ほかSNSやSNS、SNSなども(;・∀・)

あぁ~よくわからない!けども頑張ります。インターネットを。

で、今年一番のブログはこの話題を。

じゃじゃ~ん!

「クラタペッパー代表の倉田浩伸さんが今月18日(土)、梅田の蔦屋書店に胡椒たんまりもってトークイベントに来ますネ!」の巻~!(以下、今年の宣言通り、FBにも載せましたで~!)

僕のブログやSNSなどでちょくちょくお名前が出てくる倉田浩伸さん。倉田さんがすごいのは、荒廃しきったカンボジアの蘇生薬として胡椒栽培を始めたことに加えて、これがパーフェクトなオーガニックであるということだと思います。

土壌造りはもとより、害虫、豪雨、その一方で干天や日照りなど、特に昨今は異常気象が続き、マニュアルなどできるはずのない気候環境の中で、日々手探りしながら栽培から加工までをこなしている点です。


つまりクラタペッパー式胡椒栽培は毎回一年生。お天道さんと、いかに同調しながらやっていけるかが腕の見せどころというわけです。

そんなナチュラリズムの中で、今度は生の胡椒(緑胡椒)の貿易も始めちゃってるわけで、これはさらにスピード、品質、安全性、防疫というハードルがのっかってくる。

美しい味わいと有難味は僕が保証します。特にプロの料理人やオーガニックに興味をお持ちの方にお勧めしたいですね~。

普段はカンボジアにお住いの倉田さんだけに、ご本人に合うのは至難です。この際、梅田蔦屋書店へ行ってみてはいかがでしょうか。

あ、そうだ!僕も遊びに行くので、よかったら倉田さんをご紹介しますよ!って倉田さんにその隙があればですけど(;・∀・)

参加には申し込みが必要で、1人税込み1100円とのこと。蔦屋書店のサイトからはいって下段の「イベント申し込み」からいけます。クレジットカードも可能。

みなさん、会場でお会いしましょう!丸坊主の僕を見たら気軽に声をかけてくださいまし~!ほな!!

あ、あと一つ大事なことを言い忘れてました!今回、クラタペッパーさんはレシピブックを出されたんですよ!実は僕も一筆参加させていただきました。写真もでてます!みんなこうてくだぁ!(能登弁)

Simg_3470 倉田さんは左じゃないですよ(笑)

今年は新たなチャレンジ満開の年でした。

みなさんはどんな2019年でしたか?僕はもっぱら新たなチャレンジをたくさんやらせてもらった年でした。

中でも、それまで出来ていなかった大阪での料理教室とか!料理関係なくってひたすらお話するだけのイベントとか!そういったことへの参加です。

これらがなぜ今までできていなかったのか?というと、それはあえて避けてきた部分もありました。というのも僕は大阪ではライターか飲食業のどちらかという感じで、そのどちらでもない料理教室はなんか違和感があって。関西以外では20年くらいの間でたまにやらせてもらいましたけど。

でも、長年の間ずっとお誘いはうけていました。だんだん時代も、二足の草鞋、いや三足、四足というのがあたりまえ?なんだったらマルチがいい!みたいな雰囲気になってきて、SNSでつるんでなんぼ、それが徐々にイベントなんかで集まってなんぼ、みたいな感じに。

そうか、お誘いを受けるということは時代に乗っている、ということなのか、と感じつつある今日この頃でした。

あえて避けてきただけではありません。というかこちらがイベントなどに参加しにくかった90%の理由。それが、12年間ずっと兼業主夫だったということです。仕事しながらカミさんの送り迎え、犬の散歩、買い物などをするのはなかなか忙しいものでした。

その上、後半はおふくろが認知症になってしまい、週1~4回くらい、出来る限りのペースで片道1時間の道のりを通う生活になっていきました。

だから社会人的な付き合いも殆ど出来ず、気がつけば体重が10キロ落ちてました。身についたのは、近所4軒とおふくろの家の近所のスーパーの傾向と対策、手抜き料理のレシピ、ばーちゃん料理のノウハウなどです。スパイス?僕にとってスパイスは必然です。

ほぼ毎日料理してきました。僕は元来仕事としてお客さんを相手にやり続けてきたわけで、カミさんやおふくろのために料理するのはすごく抵抗がありました。

でも慣れてくると、実はこの2人は店の料理とは異次元の、なんだったらお客より手強い相手であることがわかってきて、新たなテーマが見えてきてだんだん燃えていくのでした。

で、面白いことにこういう経験が今年の仕事につながっていったわけです。

のっけはまさかのテレビ番組「NHKのきょうの料理」出演です。びっくらこきました。誰でも出来るwithスパイスな春野菜料理がテーマでした。

次に家で料理教室をやったこと。みんなやってるんだそうです。この20年間ずっと言われ続けてようやく初めて自分主催でやりました。

その次がグランフロントの『パナソニックセンター』でのスパイス料理教室&トークイベント。クライアントさんあってのエンターテイメントですが、僕にとってはついに大阪で初めての料理教室です。

そして単なる料理教室じゃなく、火は使えない、ショートカットしつつ電気調理器具を駆使、それでも時間が1時間だったっけ?足らないところを動画でカバー、包丁を持てない人にでもわかるようなレシピ、これらを話しながら進めていく、という僕にとっては至難も至難、苦手中の苦手、という大大大挑戦でした。

でも、これがスタッフ方々のおかげでもってなんだかウケた。特にディレクター女史がまたとてつもなく上手く引っ張ってくれる人で。僕は気が付けばその船でYMCAのダンスのように踊りまくっていました。古いか!

その後、『ラダー』という京都のキッチン雑貨専門店でも同様のスタイルでスパイス料理教室。枚方T-SITEでの料理&トーク。同所で住友不動産イベントでの料理&トーク。ららぽーとエキスポシティでは家族連れを相手に1日3回インターバルで料理&トーク。

昨年もやっていただいた三重県松阪の老舗割烹旅館『八千代』さんでのTHALIイベントでは、8品のパンジャブ系インド料理を80食以上作ったことも大挑戦でした。ささっと作れるものではなく、ちゃんとした仕込みが必要なものばかり。僕にとって未踏の領域のオペレーションでした。

最後は今月のナカノシマ大学での講演です。大阪スパイスヒストリーというタイトルで、僕としては珍しく歴史系のトークでした。
ほか料理やトークのイベントなんか抜けてたらごめんなさい。

ぜんぶ、スカイダイビング感覚の初めての体験ばかり。もちろんその分、失敗や反省点もてんこ盛りです。でも、これら全て!のイベントが満席だったことはとても嬉しかったです。全イベント満席なんですよ!これは主催者側、現場のスタッフ方々、そしてお客さんのおかげです。実にありがたかったです。ありがとうございました!

ほか、新たな挑戦はまだまだ続きます。イベントのほか今年は2回も海外取材に出たことも大きなトライでした。いや、今まで何か国かを渡り歩くというのはありましたが、それらは一度の渡航での話。今年は冬と夏それぞれの渡航でした。そうでなくても普段から月に1度も休めるかどうかの状態なのに!でもなんとか時間の壁をこじ開けて飛びました。

冬はカンボジアのクラタペッパーさんへ再訪。今回は農園収穫体験ツアーをやるというのでその体験取材です。これについてはビーパルWebか、ついこの間小学館から発行された『ザ・クラタペッパー』という本にも書きました。

夏はネパールへ。こちらはホームステイさせていただき、そのお宅をはじめ、いろんな民族のお友達の家へお邪魔して家庭料理を取材させて戴きました。これについては一部、来年の「そばうどん」(柴田書店ムック)に書くことが決まっています。

なぜ「そばうどん」かというと、ネパールのある民族の食事に「そば」があるからです。彼らが食べるそばは、日本にあるようなそば切りではなく、そばがき。ふっふっふっ…詳しい話は来春をお楽しみに!

ネパールのそれ以外のパートはどうするか。ちょっとまだ思案中です。

プライベートでも新たなチャレンジあれこれ。甥っ子の結婚式で、乾杯の音頭をとったことです。単なるカンパ~イ!ちゃいますよ。のっけの親族代表も兼ねているので、一言、みんなの前で挨拶をしなきゃならない。で、これがやっぱりポカをやってしまうんです。

20代の可愛い綺麗な女性が山盛りいるもんだから、緊張して言葉を忘れるだろうと思い、スマホにメモを書いてその画面を用意していたんですよ。で、みなさんの前に出たとたんやっぱり言葉が吹き飛んでしまい、慌ててスマホに目をやると、なんとなんとそのメモが消えていたのです!思わずマイク越しに「うわ、消えてしもてる!もう本音で行きますわ」と言ったらなんだかウケて、それが一気に和やかな雰囲気になり、楽しい式が始まったという奇跡。横浜元町でのことで参列者は殆どが関東系。思わず出た大阪弁もウケた理由のようです。

ほか、カミさん、黒柴犬のクロをつれて、何度かハイクにも行きました。今年はたぶん10日ほど休暇をとれたと思うのですが、その大半がこのハイクです。近畿はそもそもが標高が低く、高い山でも1000mあるかどうか。そんな中で500メートル級の小山を中心にトライ。カミさんは両方の大腿骨に人工関節を入れてるのですけど、その2つ目が昨年の12月に手術をうけたもの。リハビリが本来の目的で始めたハイクなのですが、日に日に心も体も頑丈になっていきました。ま、僕はちょっと困ってるけど(笑)

あと、北陸新幹線にも初乗り。10月に長野県栄村(北信濃)でのそば狩りに参加するためです。こちらには何度きたことがあるのですが、今までは名古屋か東京経由。でも今回は金沢経由でいったわけです。車両も駅も最高に快適でした。

さらにおふくろをUSJに連れていく目標も達成できました。認知症と言えどもまだなんとか認識できることもあって、分かるうちにと思っていたので。ま、帰りの車中から「今日は銀座にいって息子とあってきた」となってしまってますけど(笑)

おまけにカレーリーフが初めて種から芽を出したことも私的には初めての体験で超ハッピーです。

このように今年はいろんなチャレンジができて、実に楽しい一年でした。来年はますますカワムラケンジ度数を上げて行こうと思います。これからもよろしくお願いします!

みなさま、たくさんのお付き合いをしていただき感謝しております。どうぞ良いお年をお迎えください!

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結婚式で乾杯の音頭!のはずが(;・∀・)

先日、横浜まで車で行ってきました~ あぁしんど~(;´∀`)

片道約500キロ。名神、新名神、新東名を乗り継いで。僕の車は1300㏄のガソリン車で100キロ出すと会話ができないほどうるさいし、犬とカミさんも一緒なのでそりゃもう80~90キロの超安全運転、なおかつ100キロごとの休憩付きなので、だいたい8~9時間かかります。

行きはよいよい帰りは恐い。もうもう、とんでもなく疲れるわけですね~。まー元々車の運転があまりすきなほうじゃないというのもあるけど。

でも、今回はその疲れをぶっ飛ばすくらい楽しいことがありました。

それが久々の結婚式です。特に今回は名刺を配りまくらなきゃいけないわけじゃないし、幾人ものお偉方のなが~いスピーチもないしで実に気分が楽というか、純粋に結婚を祝えるeventで嬉しいやら楽しいやら。

主役はカミさん方の甥っ子です。彼女も同級の27,8歳ですって。いいですねー!この年齢。また彼らは公務員やってて、上司が2,3年で入れ替わって行ってしまうような感じらしく、中途半端に職場の人を誘いにくい状況だったようで。

でもそれがかえって純粋に祝いたいという友人が集まってくれて、実にストレスが少なく良い感じで進むんですね。

場所はなんとなんと、山下公園と港の見える丘公園と中華街のトライアングルのど真ん中!こんなところに式場があるんかい?!と思うんですけどあったんです。横浜は広い!

で、今回の僕は乾杯の音頭を頼まれまして。最初は何にも状況を知らせてもらってなかったので、とりあえず堅苦しい定番のあいさつを頭に叩き込んでいたのです。それを練習して、スマホのメモの中に台詞を書いておきました。

でも、これがいざ紹介されて前に出たとき、おめでとう!と言った瞬間に頭の中が真っ白になっちゃって、よし、スマホだ!と思い、用意しておいた画面に目をやると消えていたのです!汗汗汗(;´∀`)(;´∀`)(;´∀`)

いやほんまの話。頭の中もスマホも真っ白になってしまったらどうするの!?

思わず大阪弁で「いや、あれ、なんで?!消えてるやん」と言ったら場内のみんなが笑ってくれて。大阪人は笑ってくれると元気になるのですね~

この大きなミスによって僕は、「まーもうよろしいね。台本なしで話します。あのねー私はスパイス料理研究家というけったいな仕事をしてるんですけど。まぁ彼はご存じのようにスポーツマンでして食欲は旺盛ですから~~~~~」なんて思うがままにだだだーっとしゃべって、最後に、えいやー!って乾杯ですよ!はっはっはっは!

でも、これがよかったみたいで、最初の第一声だし、そのあと誰もスピーチはなかったので、本当に大きな流れを作る役割だったようで。僕のミスがみんなを朗らかにして、一気にやわらかな雰囲気になったんですって。

いやはや、格好よく、叔父さんらしくびしっときめたれ、などと僕の思う通りにはいかなかったけれど、結果的にみんながいい気分になってくれたのなら意味のある仕事を果たせたのかな~って思いました。完全に神がかってますね~。

でもって式場のスタッフはみんないい感じの人ばかりで。女性も男性もみんな小ぎれいでにこにこキビキビ。人数も多いしね。愛想もあるし。

そして料理も完璧でした。久しぶりにフレンチのフルコースをいただいたな~。前菜もスープも、魚も肉も、そして最後のスイーツバッフェもぜーんぶおいしかったしクォリティも高かった!

新婦も実にべっぴんで、彼女の兄弟も可愛すぎる。そしてお父さんもお母さんも実に美男美女!幸せだな~甥っ子。

結婚式っていつだって気持ちのいいものだけど、今回はこれまた格別に嬉しく感じました。やっぱ身内ってのもあるだろうけど、純粋というのが気持ちいいんだろうなと思います。若さはもちろんあります。でもそれだけじゃないはず。なんというかこう、ただ一緒になりたいっていうそういう気持ち。そして祝いたいっていう周りの気持ち。

いっとかなきゃ。無礼の内容に接しなきゃ。気の利いたことしなきゃ。いくら包まなきゃ。そういうの特に考えなくていいから。

なんでも気持ち一つで変わると思います。

だから今回の往復1000キロのドライブは、肩や首は痛いけど全然苦にならない。それどころか楽しかった、嬉しかった、気持ちよかった!っていうそれだけしかない。超絶ハッピーですよ!ありがとう甥っ子!そして横浜のみなさん!

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行きも帰りも天候にも恵まれて富士山絶景でした!


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夕富士!

 

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港の見える丘公園!肝心の港を撮るのを忘れた!そして式場も!

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